(最近白鷺さんの写真を撮っていない!)
紙面が限られている中でそれぞれに、といってもまだ近世から近代まで読んでいて他はあまくまーめくりをしたのだが、新しい発見のエキス、新しい資料の提示などがあり、展開があるのはいいね。紙面(枚数)が限られている中纏められた論稿ゆえに、今後も深められ、新たな論の構築ができそうだ。拍手
県資料や、つい最近出版された文献の紹介など、急いで読まないといけない本もあって、参考になる。謝!歴史研究はどれだけ新しい発見資料(文献)を提示できるか、問われているのだとよくわかる。しかし、上布を課税された女性達の働きは凄いね。沖縄の女性達は良く働いてきたのだと、感心する。祭祀を担い、労働を担ってきた女たち!という二語が気になっている。遊里の女性たちはだったのか?近代以降の尾類は明らかに差別用語で近代の産物だということがポイントだと考えている。奴隷として売られたウクライナの女性がオスマントルコのサルタンの妃(妻)の座につき其のむすこがサルタンになっていった事例など。ドラマでも奴隷のことばが飛び交うが、琉球・沖縄でジュリはだったのだろうか?奴隷的な?
渡辺美季さんがという二語を3回ほど論稿の中で使っているが王府の説明としての、視されたジュリ、そしてー。と一般の婦女子、奴隷と非奴隷の差はどれほどだったのだろうか?支配(層)と被支配(層)の螺旋関係。晴れやかなジュリの女性達の姿もあるね。一面的に語れない構造(図)なりがあって、興味深い。石原(麻生)清香さんの論稿は参考になった。この間の論稿をさらに鋭く論じているような印象だ。具体的な法律条項の持つインパクトがある。
人間以下の思想は確かに人身売買があり、農奴のように売られて労働した者たちがいたのも確かだ。人身売買についてはいい論文が『地域と文化』に掲載されている。人間が人間を売り買いするという家父長制度の弊害はそこここかしこに或るのだと言えようが、売られた子供、少女達は、だったのだろうか?=人間以下の存在?
「女性史からみた薩摩と琉球の関係」真栄平房昭論文は、想像をかきたてられるスリルさがあるね。商売に長けていた那覇の女たち!傾城の血筋を排除する身分意識、薩摩系の血筋も忌避する意識があるとのこと、なるほど納得もいく。