(基調講演レジメです!)
80代の宜保先生がお話される辻の芸能について、とても興味深いです。狭い沖縄ゆえに、あまりに身近にありすぎる記憶を意図的に避ける、逃げる傾向は私自身にもあるので、人は過去を脚色もします。変えられる過去があります。痛い、嫌な思い出でも、忘れ去りたい思いがあることも事実です。自らの死と共に過去をいっしょに葬ることも時に癒しになり時にいつまでも逃避ゆえの負い目のようなものを引きずることもありえるかもしれません。
しかし、人はどれだけ自らを語りえるのだろうか?どれだけ自らの人生の物語を反芻できるのだろうか?事実のもつ重さ、軽さ、嘘や偽善や、卑怯な心や、奢りとか、人の心のドラマは無限なのか、「それとも」パラダイムなりパターン化、類型に括られるものなのだろうか?