(つぶやきのような~)
午後2時に本番がある17日の朝、今年8月15日に生誕100年を迎える康忠さんが、「ときわ座」時代の1958年、琉球新報演劇コンクールに入選し、最高演技賞を受賞した「落城」の記念公演について、1分だけ「真喜志康忠生誕100年(十三回忌)記念公演」について、アナウンスさせてほしいと、「なはーと」当局の担当者にお電話したところ、一団体の要望に応えることはできない、と残念な答えでした。
「真喜志康忠生誕100年記念公演実行委員会」委員長の宮城弘岩さんに、今回のトークイベントについて感想などと共に、真喜志康忠氏の功績をたたえ若い実演家につなぐ次のイベントとして、広報をかねてお話することは、今回の企画が「なはーと」独自の取組にしろ、それは沖縄県全体にとっても、詰めかけた200人余の観衆にとっても、耳寄りな情報だと、思ったのですが、「なはーと」関係者の器量の問題ではないと思いたいです。
つまり、「なはーと」のこの企画は次につなぐためのものではなかったのでしょうか。自らの企画が成功すればいいの狭量な考えだったのでしょうか。
幸い登壇者のお一人平良 進さんが、少し他人事のように「来年『落城』を上演する企画があるようです」とお話した。氏が65年前の舞台をごらんになった実演家として演出される可能性は大きいです。そのアナウンスに会場からは拍手が起こったのでした。前からその事は氏とお話していたのですが、1分間でも、「真喜志康忠生誕100年」の意義をさらに押し広げる時間を与えてくれなかったことに「なはーと」の企画制作の対応にはちょっとがっかりでした。平良 進さんには、その後、登壇者として60年ぶりの「落城」の上演について少しでも会場でお話することをあらためてお願いしましたが~。
まぁー、ダメ元で、企画制作主任専門員の方に☎したのですが、すると演出の仲松さんにお聞きして、さらに上司の方にお伺いをたてたようですが、関連する舞台上演が来年7月にありますのアナウンスは受け入れてもらえませんでした。
一団体のために、できないとの返答が気になりました。関係者がいないという説明もありました。関係者はいます。「真喜志康忠を偲ぶ会」の事務局はこちらで引き受けているのですが、代表は平良進さんになっています。当初は幸喜良秀氏です。そして「真喜志康忠を偲ぶ会」が企画の中心です。
せっかく「映像で真喜志康忠生誕100年~役者人生の歩み」また康忠芝居舞台記録上映ダイジェスト、「復員者の土産」「伊江島ハンドー小」「護佐丸と阿麻和利」を紹介し、「真喜志康忠が残したもの」の座談会も75分ほどやったのですが、さらに沖縄芝居(演劇)のレベルを高めようとした、と平良進さんが何度か強調した氏の孤高の精神を押し広げる意味で、関係する生誕記念舞台公演の応援を、「なはーと」が快諾しなかったことはなぜでしょう。
仲松さん演出の映像編集には、わたしが編集で大部かかわった著書の写真も何枚か使われていて、微笑ましかったのですが、中身に関しては、ある芸能通の方から、「もし映像を編集するなら、結婚式の披露宴で披露する映像専門の皆さんがいいわよ」と、アドバイスを受けました。仲松さん作成の映像を来年舞台公演と共に、劇場で10分ほど流すのもいいかと思ったりしたのですが、厳しいのかもしれませんね。独自で制作することにしました。面白味のある映像編集ができそうです。簡単にスライドを表示しながらナレーションで真喜志康忠の役者人生を紹介することもできるでしょう。
トークイベントは皆さん、熱心に呼応していました。
康忠氏の奥様、真喜志八重子さんご家族の盛花が目を引きました。劇場の入り口と会場の両サイドに置かれていました。真喜志家の団結は強いですね。名優康忠氏は敬愛されています。
座談会は面白かったです。狩俣先生の発言に注目しました。琉球戯曲集71作品への言及はありませんでした。しかし死後も10年間の琉球大学での康忠氏の講義録のデジタルデータと脚本データがしっかり残ると、宣言されていました。良かったです。それらのデータは活かされていくはずです。
神谷武史さんの発言はとても誠実に感じられました。お父様の「護佐丸と阿麻和利」の中での空手演技の場面が紹介され、神谷さんの晴れの舞台姿に重なりました。空手は切ってもきれない神谷さんの特技であり、それが舞台芸術に活かされていることがわかりました。康忠氏をまねたという唱えは迫力がありました。康忠氏主演の舞台4本に主役として出場しています。
平良進さんの発言も率直に「真喜志康忠とときわ座」について話していました。鬼がいると噂された「ときわ座・座長」の真摯な姿が浮かび上がりました。
映像の最初に組踊阿麻和利の立ち姿、そして最後を飾ったのは軽やかに踊る康忠氏の浜千鳥でした。仲松さんの映像編集はインパクトがありました。芝居役者の琉球舞踊の味わいを今一度見直す必要がありそうです。戦前の名優のみなさんは、組踊、琉球史劇、時代劇、琉球歌劇、そして古典や雑踊となんでもこなしたのでした。つまり戦前の珊瑚座の生き残り、真喜志康忠氏は現在の組踊や沖縄芝居を担う現役の役者(実演家)の皆さんにとって、模範となる優れた芸能者ですね。
関係者のみなさん、お疲れ様でした。来年の「落城」(一名真壁樽)の公演は是非ご覧になってほしいですね。生誕100年記念冊子は中身の濃いものにしたいです。
記者会見も予定しています。来年7月の公演予定です。ユタシクウニゲーサビラ❗️