(とよみ大橋が遠くに、ピンク雲はなぜか心を浮き立たせる!)
確かに4人の大部屋の窓際にいたAさんは延命治療を受けて絶えず鼾をかいている老女、寝たまま身動きしない老人、時たま首を振って唸り声を出す老人と相部屋だった。彼女はそのAさんのために三線を弾き歌ってあげた。ベッドの上のおはしとスプーンで太鼓の代わりの音を入れた。 Aさんはそれでも喜んでくれた。涙ぐんでいた。
石仏のように車椅子の上でひたすら寝ている女性や顔がもう半分相手を意識しているのかどうか曖昧の表情の老女、なぜか元気がよそそうな同じ車椅子の老人、ああここが現代の姥捨て山なのかと一瞬目を背けたくなった光景、ここは死が身近に漂っているのだ。そこにまだ元気な50代のAさんがいっしょにいたのである。検査入院ということで、本人はあまり気にしてないような雰囲気だったのだが、久しぶりに訪ねた病棟に驚いた。
心の底から自らを語り合うことができる場、笑いが自然とこぼれる場、そこに人生の苦しみや痛みのすべてが溶解していくその瞬間、があること、それを目撃できたひと時が過ぎて、病院を後にした。
病院はなぜか大きなXXXXのようなイメージがしている。病室に括られたような人生の末路、その光景は目をふさぎたくなる。それでもこの国の多くの人々は今では病院が最後のステージとなっている。人は病院で生まれ病院で死ぬ仕組みを生き生かされているようだ。人生の物語の始まりと終わりの物語がここで切り結んでいるということに、すでに既知のはずだが、久しぶりに病棟を訪ねてみると、唖然としてしまうのはなぜか。奇跡のような出来事を目撃した日だった。人と人の出会いがもたらすものは、どこか常軌を越えていくものがあるのだと、それが嘘でもなく事実だということが、やはり信じられないけれど、信じざるをえなかった。
心の底から包み隠す事無く言葉が交わせる友人や恋人、相棒、妻や夫などがいる人々は幸せなのかもしれない。同じ志を持った同胞もいいね。そしてことばがなによりピンポン玉のように跳ね返ったり、途中で途切れてもまた対話が続く、それが永久に続いても厭きないような対手はいいね。心配りができる相手ー。長くて短く、短くて長いような人生の物語の主人公としてそれぞれが生きているのだけれど、無数の物語はそれぞれユニークで興味深いに違いない。X からYへと、振り子のように時代が動いていく今のこの瞬間が振り子の反対側に位置するように見える世界、Y からXへ、そしてこの国の位置だが、時代の空気もまた絶えず変動していること、その振り子の速さに、驚いてばかりもおれない。
「ああ、生きてよかった」と、最後のステージで笑える日々であってほしいと念じるばかり。太鼓頑張らなければね。自己流太鼓でも主人公の唄者を引き立てないといけないね!
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深夜たった3人で60人ほどの老人たちのケアーをしているのである。体重が減り、微熱が続き、血圧も高い。夜は幻覚に襲われる。夜中にベルを押しても看護師はすぐ来てはくれないのらしい。現実の病棟に病院のケアーの欠陥が見え隠れしている。それでいて付き添いを拒むのである。捨てられる老人になりたくないが、無視される老人にもなりたくないが、現実は実は非情さが流れているのらしい。
現実の非情さ、生きることの、、、、厳しさ。
人生の最後の姿を考える年齢になってきた。
今でも大変なのに、本当にこわい。