志情(しなさき)の海へ

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通勤途中に聴くギター曲『禁じられた遊び』に惹かれて映画を改めてみた。戦争の悲惨さがそこにも!

2012-10-03 23:14:37 | 表象文化/表象文化研究会

いつ買ったかよく覚えていないが、断捨離をしながら出てきたCDアルバムがギター曲の名作だけ収録していて、その中にあの心が締め付けられるような「禁じられた遊び」がある。以前見た映画だが、戦争下のフランスで無邪気な子供たちが愛するペットなどの生き物の死骸を埋めてそこに墓場などから盗んできた十字架を立てていた、の記憶まではあるが、映画の結末が思い出せなかった。それで改めて見たいと思って近くのTSUTAYAで借りてきた。ハロルド・ピンター脚本の映画や戯曲の映画化された例えば「The Homecoming」や「Betrayal」などの映像DVDも一緒に探し求めていたのだが、「フランス軍中尉の女」も含めて全滅である。全くないのだ。それでネットで調べてみると格安でThe HomecomingなどDVDで3作品求めることができた。

最近のレンタルショップは少し古い作品などはもうあまり置いてはいないのらしい。残念だった。最近全くレンタルDVDとは縁がなかったのだが授業でピンターを取り上げるために寄ってみた。ついでに気になるThe Whistle-blowerなども借りた。これはジェンダー&セクシュアリティーの問題ともからむので、やはり授業で使えるかもしれないと考えている。UNの平和部隊の人身売買・女性の性的奴隷化の生々しいい告発物語である。実在の女性も健在でそのインタビュー記事や背後のドラマがネットで英文で読める。世界の闇である。それがセクシュアリティーや暴力と絡む。

世界の成り立ちの渦の中にある暴力システムがまた眼前に浮かんでくる。平和に見えるシステムの暴力性はイオネスコだけではなくこれでもか、とえぐり出されている作品は多い。人間性は変わらない、とクリスチャンの友人は言い切るのだが、誰でも悪魔で女神でもある、ということだが、宗教的倫理性・規範の上で変わらない人間性なのか疑問も起こる。

戦争という究極の残虐さを振り返ると、現に起こっているシリアや一昔まえのユーゴスラビアやアフリカの内戦など確かにきりがないほど残虐だ。残虐性=人間の本性として肯定するのか、それともそれが環境によって変われるものだということは、私たちは体験はしてきた。日本は戦後67年間戦争がない時をもった。しかし周辺の戦争で経済が潤ったのも事実で、科学技術も洗練され今に至る。誰かの、他の地域の不幸なる戦争や内乱や紛争の上に成り立っていた平和でもあった。それが偽りの繁栄だったのかもしれない。恵まれた時代を過ごしてきたもかもしれない。しかしその前に2千万のアジア人や300万人の日本人が戦争で殺されたり戦闘で亡くなったのだ。

そう考えると人類史は血が噴き出る歴史そのものでもある。『禁じられた遊び』はドイツ軍が侵攻し、無垢な市民を空襲で襲う場面から始まる。子犬を追いかける5歳ほどの少女を追いかけた二人の親は空襲の犠牲になり、犬を追いかけた女の子は牛を追いかける農家のミシェールに出会う。二人の出会いの美しさがフランスの農家の光景の中に溶けていく。十字架に込められた悲しさ無邪気な遊び《美意識》は子供たちの純粋な熱狂の背後の酷さが脈打っている。戦争により出会い、引き離される少女と少年の愛の行方がのどかな農家の風景の中でなおさら沁みていく。駅の雑然とした光景との対比、人垣に紛れる女の子、ミシェールと再び会えるのだろうか?

やはりいい映画といい音楽はマッチするのかもしれない。この曲を聴く度に可愛らしい少女ポレットと賢い農家の少年ミシェルの姿を追慕することになるのだね。ああ痛いと思う。人類の歴史夢幻・無限の痛ましさが漂っている。「禁じられた遊び」=「愛のロマンス!」

ギターの名曲はなぜこんなに心に沁みてくるのだろうか?「アルハンブラの思い出」もまたーー。


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