以下は心温まるいいお話ですね! http://satoru-kihara.blog.ocn....(私の沖縄日記)さんより!
沖縄出身青年が広島で遺骨・遺品収集(転載)
戦時中、広島市沖の似島(にのしま)には被爆者らが運び込まれた臨時野戦病院がありました。戦後69年たったいま、この島で単身、自費を投じて、戦死者の遺骨や遺品を発掘している一人の青年がいます。
その人は、嘉陽礼文(かよう・れぶん)さん。広島大学大学院博士課程(解剖学)2年。専門とは無関係、まったくのボランティア。出身は沖縄です。(写真右。NHKニュースから)
嘉陽さんの活動が20日の中国新聞、21日のNHKニュースで相次いで取り上げられました。
嘉陽さんが広島で被爆者らの遺骨・遺品を収集する背景には、親族の沖縄戦の体験があります。
嘉陽さんの祖父は弟とおいを、祖母はいとこを沖縄戦で亡くしました。その遺骨はいまだに発見されていません。嘉陽さんは小さい時から祖母に沖縄戦の話を聞いて育ちました。
私が嘉陽さんの名前を知ったのは今回が初めてではありません。2月18日の中国新聞で、嘉陽さんが原爆ドーム近くの元安川に沈んでいるドームの破片を引き揚げ、広大医学部資料館に展示するほか、海外の大学などに寄贈する活動をしていることを知りました。これもすべて自費です。
なんと素晴らしい人なんだろう。苗字から沖縄出身に違いない。そう思いながら、広大の資料館に引き揚げられたドームの破片を見に行きました(写真左)。残念ながら嘉陽さんに会うことはできませんでした。
そして今回、連絡先を知ることができました。何か手伝わせてもらえないかと思いましたが、今回は実務的に無理でした。
嘉陽さんは、沖縄の壕で遺骨収集に協力している本土の人間がいることを見て、「いつか私にできることを」と思い続けていたと言います。
「本土防衛」の「捨て石」になった沖縄戦。その犠牲者の遺骨・遺品の収集を、本土の人間が手伝うのは当たり前のことです。
嘉陽さんは逆です。犠牲になった沖縄の青年が、自費を投じて自ら、本土の被爆者らの遺骨・遺品、被爆遺跡を発掘しているのです。
こんな青年が、沖縄出身者にはいるのです。
戦争を風化させないため。沖縄と本土の架け橋に。嘉陽さん自身はそんな理屈ではないと言うかもしれません。
でも私たち本土の人間は、この36歳の沖縄の青年のこころと行動を、しっかり見つめなければなりません。
そして、自分に問わねばなりません。「いま私にできること」は何?
遺骨・遺品収集が終了する7月に、嘉陽さんに会えるのが楽しみです。