(以下は感性の鋭い方と電話で話したこと、お聞きした中身です。少なからずの沖縄の芸能に関わる方々の声を代弁しているのではないかと思い、UPします!)
選考員が誰か確かめる必要がありますね、の応答に「すべて伝統芸能は嘉数道彦さんの息がかかっていることが目について気になります」との返事でした。嘉数道彦さんは若干34歳で国立劇場おきなわの芸術監督に抜擢された方で、新作組踊作品を次々創作して、舞台化しています。新作沖縄芝居も面白い作品があり、その才能が十分に開花している沖縄の伝統芸能の今や顔になっていますが、演出にはまだ粗いところもあり、それでも若手を抜擢し、国立劇場の運営にも辣腕を発揮していると見ていいのでしょう。しかしあらゆるところに彼と彼の仲間の息のあった似たキャスティングによるプロデュース公演には「ああまた同じメンバーか」とか、「まったく彼らの舞台から心に滲みてくるものがない」との声も聞こえてきます。電話の主は「今や嘉数道彦天下の沖縄だね」とまで話していました。←どうなんでしょうか?申請した「かりゆし公演」に落選した故の憤懣もあったのかもしれませんね。俳優協会も落選だったようです。俳協は毎年応援してもいいですね。
「能ある鷹は爪を隠す」ではなく「能ある鷹は爪を光らせ飛び回る」でしょうか。文化ポリティクスの旨味を存分に発揮しているということになるのかもしれません。「独占体制」だと批判のある状況に風を通すのは第三局なんですね。第三者の存在と言えるのかもしれません。作られたヒエラルキーをぶち壊し、そこに新たな風を入れる方法(才覚)は他所からの人材ということになります。現在の沖縄芸能界のヒエラルキーを壊す風が必要です。特権を得て、財務省のように、つまり、お金(予算)を誰が牛耳っているか、誰が予算の配分をするか、その選択権が財務省なら、伝統芸能の公演おいて、だれがそれを選考し、予算をつけて応援するか、は大きな権威になります。
1時間も沖縄の芸能界の歪みを話していた方の話の裏は、かりゆし芸能の選考結果を見たらわかるのかもしれません。新しくできて今年秋にはオープニングする那覇市民会館の芸術監督に嘉数道彦さんをという声もあるとお聞きした。佐辺良和さんとか、他の人材に機会を与えることも必要で、かつまったく沖縄に出自はなくとも沖縄を世界に日本に発信する情熱を持っている演出家などが招聘されてもいいのかもしれません。嘉数さんだと同じパターンになります。公募制もいいかもしれません。
他、沖芸連はACOの下山さんが中心に動いていて、琉球歌劇保存会を囲い込みたいようで、の話にも驚いたが、以前平良とみささんなどはかなりACOに所属することによってリベートを取られたとの話も聞こえてきました。詳細が知りたいものです。沖芸連があらゆる公演の窓口になり、またリベートを収奪されたらたいへんね、の声もあるとのことで、いろいろ沖縄の芸能界の蠢きがある様子です。魑魅魍魎ですが、誰が、どの組織が恩恵を受けているかによって、現況が見えてくるのかもしれませんね。コロナ禍で誰が得しているかと同じような物差しになるでしょうか。しかし沖縄芸能は、一時演出家幸喜良秀の天下だと言われた事がありました。太田政権の頃でしょうか?
本格的な組踊劇場も本格的な沖縄芝居の劇場もない沖縄です。どこかオーセンティックなものを追求しないゆるい体質があるのかもしれませんね。
authenticは、ギリシャ語で「主要な」「本物の」を意味するauthentikosという単語に起源があります。 日本で使われる「オーセンティック」も同様で、「本物であるさま」や「正統的であるさま」を意味します。 同時に、「本物」ということから「信頼できる」という意味も含んでいます。←この定義からするとやはり国立劇場おきなわは、オーセンティックではありません。
多良間の組踊の魅力を再考する必要があります。また芝居は本来あった花道のある劇場が必要です。歌舞伎の花道と沖縄芝居の花道は違いますね。以前は国立劇場の花道はそれはそれで沖縄芝居にいいのかと思ったのですが、ちょっとそれはどうなのでしょうか?