嘘の上に塗り固められた論理がありつづけるのだと、ほんとうの姿は見えても見えないのだと、誰かが造った偽造した真実が独り歩きする世の中なんだと、絶望するのでもなく、生きている。見えたのはあれは嘘で、あの怒り声も嘘で本質をみていないのは誰か、すでに齟齬は齟齬のままに無残さのみ残る時の中で、それでもと、かきたてるものは何だろう。
堅い思想や詩の雑誌のいまどきの特集を見ても、実は書いているそれぞれの知識たちが、実は根本的な焦点をはぐらかした事実や実証や現象、つまりまことしやかな事実認識の元に論を、ことばを組み立てていることにいら立ちがやってくる。、そこに真実はないのだとー。真実は思想書の中にはない。ツイターのハットさせられる情報開示の中にある。嘘も多いよ、と言い捨てる情報関連の若者がいるが、しかし、既成の学問体系はもはや実は隠された見えない見える真実を事なかれ的に無傷のことばで包んでいる。中には果敢に知の体系のピラミッドの欺瞞・矛盾に挑む女が一人で英語と日本語で言葉の矢を放ったりしている、勇敢なのだ、もはや今ある見える体系など崩れゆく望郷の果てのような雰囲気が漂ったりもする、その中でラベルを頭の上に張り付けている面々の顔を思い出すと、単なる労働組合の条件闘争の中にいる欲深い人間に見えたりもする。
やれやれ、君もそうなのか?括られた真実との闘いの姿もまた滑稽に見えたりもするが、もうなんくるなるさではない。敵は創造以上に巨大なのだよ、無駄な抵抗をやめて好きなことをやり楽しく生きて死ねれば本望じゃないか、と誰かがつぶやく。そうね、それもいいね。どうでもよくてどうでもよくないのよね。ニコニコ笑って人を切る。ニコニコ笑って自殺する。ニコニコ笑って人を侮る、ニコニコ笑って人を人を、人を殺めたりする。罪は襲ってくるので、逃れられない。注文した『さいごの色街飛田』が届いた。引き込まれるので、読んですぐ紹介しょう。(続く、で続かないが多いが、「飛田」の本は今日中に紹介したい。
やはり嘘,ペテン、フィクションで飾った表象はそのしっぺ返しを受けるのが歴史かも!(佐喜眞美術館、大勢の中学生観光団がサンフランシスコ講話条約について説明を受けていた!)嘘も、フィクションも、ペテンもこの社会の有象無象の表象のあぶくの一部とい...