志情(しなさき)の海へ

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女性だけの組踊集団≪めばな≫の舞台は、澄んだきれいなイメージがしたね!

2014-02-08 09:21:06 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

 

女方(女形、女型)に対して男方(男形、男型)が、問われるのだろう。女性だけの組踊はなかなかいい趣向だと考えている。というのは、1719年に朝薫が冊封使の面前や、尚王家、当時の上級士族層の前で披露してきた琉球オペラだが、どうも首里の殿内でも上演されてきたのだ。そしてまた、女性たちが唱え、少し広めの畳間や板間で素人芸とはいえ、踊って、演じてきた組踊であった歴史が見えてきている昨今だからでもある。

琉球芸能の特に演劇として捉えた時、セリフ劇や歌劇の中に組踊は踏襲され、その精神や倫理観まで系譜としてたどれるのは現実である、ゆえに、御冠船踊りの総体がまた女性たちによって継承されることは、まったく筋が通っているのである。男がやる組踊を女がやることによって、男たちの女方、とも異なる女たちの男方の芸の切磋琢磨から見えてくるものがあるはずなのだ。セリフのレトリックや、歌・三線の味わいもある。それらが琉球古典音楽ともまた深く関連している現実がある。例えば辻遊郭や中島遊郭では女性たちが大いに古典を歌い、弾き鳴らしてきたのである。

「めばな」の舞台を見て、聞いていて、遊郭の大広間の雰囲気がそこにありえるのかもしれないなどと、思っていた。まぁ、みなさん、きれいにきちんと踊って唱えていましたが、女芸による男の表象もなかなか、面白いのは確かだね。その際、男たちの男芸(阿麻和利)と比べる必要はない。比べるのもいいが、女の阿麻和利はそれはそれで、いい味わいがあったのは、確かだ。中性的な美意識が成り立つに違いない。

女の地謡もなかなか聞かせた。女性の澄んだ声音のもつ美がある。二童の若衆姿など、魅力的だった。若衆は美しい少年たちなので、美しい女性舞踊家の美が重なっているね。中性的なセクシュアリティの魅力かもしれない。踊り子ではない、しかし踊り子のような踊りを物する二童の姿は、旅芸人の様相も醸している。花の童である。花のような童たちの踊の美しさに阿麻和利は溶かされていくのである。組踊の中のロマンティックアスペクトが成り立つ。んんん、あの論稿はエッセイとして上梓しよう。査読の論文が訂正で許可を得た。後は3月の英語論文で査読OKを、その前に報告書の冊子を、そして3月31日、7月に二つ、日本文、英文論考と続く。肝心の博論はアウトライン設定とテーマを一部絞って、今年こそ完成させなければー。厳しい!


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