志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

3・11多様なイヴェントや追悼集会がある中で「劇場と社会」なんと14時から19時まで白熱!でした。

2012-03-12 06:25:02 | 沖縄演劇
                       (天野文雄先生の基調講演)

組踊保存会の「女物狂」が【国立劇場おきなわ】では同じ時間に上演される日、100人近くの方々が博物館・美術館構造に詰めかけてくれました。そして何とおよそ5時間の長いシンポジウムに成りました。しかし論議は熱狂的で白熱しました。んん、こんなにパッショネートなシンポはこの間あまり見たことなかったので、コーディネートをした者としても、その論議が面白くて久しぶりに燃えましたね。んんん、国際的な閉じられた大学を中心とした研究発表やワークショップよりはるかに良かったと言えようかとまずは自己XXからーー。やはり、境界論を唱える大学人の閉鎖性は企業秘密を表に出したがらないシステムに似ているが、「知」はもっと開かれるべきであり、また沖縄で研究発表する大和の研究者すべてにもっと沖縄にコミットしろとは言えないが、ジェンダーなり移動や旅なりを研究する文学系の教授達の狭きパネルや講演の限界を色々感じさせられた昨今の大学知識人を中心とする講演などに、拓かれない狭さを感じていたが、それらよりはるかに面白さがあった!

私は比較表象論として表象としての演劇(芸能)や文学総体に興味があり、民族、言語、社会現象も含め、トタールに見ている。存在は=政治ゆえに政治的アクションにも興味はあり、またネット時代のネット戦争にもメディアの嘘と隠蔽にも興味がある。また琉球・沖縄の歴史にももちろん根として興味を持っている。でも狭い研究範囲で汲々している方々の閉じられた姿勢のあり様に驚く日々である。

最近はアジア文学、沖縄文学であり世界文学である。また太平洋文学というイズムなり概念も登場している。XX文学もいいが、文学はすべて世界文学でありえる。あえてXX文学と括る必要はないのだろう。海の文学、山の文学、境界の文学、異文化接触の文学、太平洋文学、んんん、どれほど太平洋という意識があるのかも曖昧だが、群島概念も出た。今度は?世界文学、地球文学、惑星文学ですか?なぜかターミノロジーだけが踊っているようにも見える。なんかどうでもいいような気がする。沖縄学、沖縄文学=世界文学もある。植民地の宗主国と被庶民地住民の構図もあり。多様に図式化される知的フレームや言説=概念の中で、今やこれが絶対的に正しいという論もない。すべては相対化され解体され脱構築される。その中で真実の果実を齧る為に人は懸命にまた生きている。

今回多様な発見があった。能楽堂は日本に80もあり、北海道と沖縄だけそれがないことや、薪能が昭和25年から日本の各地に登場するようになった事など、現在の能楽堂は明治以降に屋内に入った事なども含め、古い舞台の形状の推移なども実に興味深い天野先生のお話だった。

シンポジウムの中身は冊子にする予定で論議もまたことばにまとめる予定である。それにしてもドイツでは民衆演劇が実在している事実がある。街に劇場が必ずあり、劇団もあり、それらを国民の税金で支えている。劇場が公のイヴェント広場になり、そこが自由に集合的な意識の反芻や論議がなされる場になっている、ということに驚く。

国立劇場のあり方への論議が盛んになされた。組踊や新作組踊への関心の大きさでもあったが、一方でそれらを別の視点で見据えるスタンスも板谷徹氏からなされた。

狩俣恵一先生が問題提起された古典と古格の違い、新作組踊の名称への疑問、組踊に捉われている沖縄の現在の問題など、なるほどに思えた。そこに言葉の問題も含まれてくるが、さてどう事態は動いていくのだろうか?

劇場とは何だろう?決して悲観的ではない未来へのヴィジョンを出さなければならない。しかし組踊が未完成であり、その様式性も含めもっと見直される必要がありそうだ。

舞台の詩を思う時、幸喜良秀氏の演出を私は否定しないし、面白いと感じている。弁証法の推移の現在としての新作組踊なのだろう。

政治的な駆け引きもあり立派な劇場ができた。多目的ホールであった。花道も回り舞台もある。決して組踊に特化した舞台ではない。その不幸ゆえに現在に至る問題もありそうだ。

この劇場で最もあっている作品が実は新作組踊の額縁舞台だという皮肉もある!まさに古典組踊、琉球史劇、琉球歌劇を統合させた現在の新作組踊こそ、8886のリズムや琉球語の詞章に基づきながら、つらねあり、舞踊あり、古典も民謡もありの面白さを出している。三つの方向から立体的に見れない御冠船時代の復元張り出し舞台も、方手落ちである。立体的ではないのであり、多良間島の八月踊りほどの興奮もわかない。

国立劇場ではなく、パブリックシアター、民衆劇場として変えていく必要があるのだろうね!



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