志情(しなさき)の海へ

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「近代沖縄組踊関連年表〈抄〉by 鈴木耕太は、近代沖縄1879~1945(66年)の組踊上演の痕跡が以前より詳細でいいね!

2021-04-23 23:09:08 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
以前大野道夫さんが戦前の新聞の広告からまとめた「戦前の組踊上演記録」も参考にして、「フェミニズム論から見る沖縄演劇」ー組踊『忠孝婦人』を中心に」の論稿をまとめたが、鈴木さんが詳細にまとめた今回の上演年表を見ても、圧倒的に「忠孝婦人」の上演が多い!なぜかだが~。

大野さんが戦前の新聞の広告から拾い上げた上演を見ると、「忠孝婦人」の広告は25回、ついで「姉妹敵討」が13回、続いて「手水の縁」13回、「執心鐘入」11回である。鈴木さんの上演リストを見ると(その中にはレコードも含まれる)、「忠孝婦人」30回、「姉妹敵討」16回、「手水の縁」16回、「執心鐘入」15回となっている。「姉妹敵討」と「手水の縁」が同じ回数だが、大野さんが広告から拾い上げた上演数の順序とほぼ同じになっている。

なぜこれほどに「忠孝婦人」は人気があったのか、の問の答えはすでに論稿の中で推察、分析しまとめたので、ここで繰り返すこともない。ただ、「忠孝婦人」も「姉妹敵討」も女性たちが主人公である、という事実に注目したい。また「手水の縁」にしても「執心鐘入」も女性が物語の主人公であることは事実だ。「執心鐘入」はまさに宿の女のアクション(行為)が主軸になっている。「手水の縁」の玉津も受動的なキャラクターが、大胆に恋を生きる女性に変容していく。規範を超えて生きる、つまり境界を超える女性たちを伝統組踊の中に近代の一般大衆は目撃したのだと、言えそうだ。近代の息吹の中に生きる大衆にとって、この4作品の女性たちは新しい時代の象徴に見えたに違いない。儒教の「忠孝」を美徳として描かれた伝統組踊が実は、忠孝を体現しつつ、それを超えていたのである。

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