ヨモギ、春菊、ニラ、ニンニク、ニガナ、カラシナ、パクチー、長命草、他。バジルは入れていない。それにニンジン、鶏ひき肉をまぜる。鶏肉に慣れてしまったら、他の挽肉は舌が受け付けなくなってしまった。不思議だ。
ビーガンではないが、ビーガンは精神的に心が安らかになるだろうか。50代からベジタリアンになったというトルストイは、家畜の殺傷に罪悪感を抱いたのだろうか。戦争を小説に描いた作家でもあった。国と国が殺し合う。人間同士が殺傷しあう歴史を物語にした。
過去、現在を問わず、戦場の兵士が殺傷の修羅場を潜り抜けて、精神に異常がきたす事例は多いと言われる。
尋常ならざる経験ゆえのトラウマが、人の生涯に暗雲をもたらす事実に、常に唖然とさせられる。生きるとは、生を全うすることは、物理的、観念的に多様な経験のエキスを飲み込むことに他ならないゆえに、精神のバランスが常日頃試されている。
心安らかな日々を過ごしたい。されど、日常は、平穏が続いていくわけではない。大小の修羅に揺すぶられながら、ささやかな喜び、驚嘆や発見、美に包まれていることは実感している。
さて今日の喜びの一つは、庭の菜園で採れた野菜たち。感謝していただきます。