志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

久しぶりに割れるような拍手でしたが「木の上の軍隊」は期待はずれでした‼️

2019-06-27 13:24:51 | 表象文化/表象文化研究会

(普天間かおりさんのバーサーを着けたガジュマルの精の語り部は、幾分沖縄の色合いでしたね!彼女の歌を聞いてみたいと思いました!コンサートの料金設定も良心的ですね😃)でも大学生も半額でいいね👍️奨学金とかで勉学、厳しいですよ。

新聞社がものすごい広報を繰り返していました。それで千人でも満席になりますね。しかし二時間近くだが途中退屈で寝てしまいました。栗山民也さんが本物を目指すなら、ウチナーの身体と言葉を持ったウチナーの役者を抜擢すべきですね。

馬鹿でかいガジュマルの樹木が主人公で良かったね。バイオリンのライブはいいね。でも歌三線も太鼓も並べることができそうだ。ネットで見る限りいい評価ですが、いろいろです。

木下順二の「沖縄」を彷彿させました。役者の身体と言葉のリズムは重要です。伊江島の牛飼いの青年兵士は、ウチナーの若者ではありませんでした。テレビのように語尾に「ばー」、とか「ーでよ」「-サー」を付け加えただけで、沖縄の感性が描かれるわけではなく、言葉のニュアンスの違いによる、笑いもあまりとれませんでしたね。台詞が知的で、キャラクターとあわないような齟齬も感じられました。もっと地に下りたことばがあっていいようなー。

ウチナーの身体と言葉をおろそかにしたら根っこが腐っているようで、興醒めでしたね。それでシンガー・ソングライターの普天間かおり、木の精でナレーターですが~。ツラネに情感がなく、語りに抒情がこもっていない。うちなーぐちで筋書きを語れる味わいがあったらいいね。

ところどころに挟んだ歌はまぁ良かったが、舞台慣れしていないことがあきらかで、存在感はあったのかー。演出効果としては違和感のない役者だ。しかし、ガジュマルの大樹の精だから沖縄芝居の女優でも良かったね。つらねも唄三線もばっちりだ。

ばかでかいガジュマルの樹木。二ヶ年木で過ごした日本兵と伊江島の牛飼いの若者。
脚本の一部をウチナーグチにして舞台を再構成したら、もっといい舞台になるに違いない。
戯曲のことばの深さ、思想性はさすが井上ひさしさんです。でも若い新兵が語れたことばだったのか、と疑問も。木下順二の『沖縄』のように観念的な概念が台詞になっているところもー。

若者のことばの調子、リズムそれだけで、興醒めしたのはなぜか。
根っこにある言語の力は侮れない。何度も見る琉球歌劇がいいなーと思っていた。劇団創造の現代うちなー芝居はやはりいいね😃 「タンメーたちの春」がいいね👍️なぜ?

いい席を用意していただいて嬉しかったけれど、一部の観客が台詞にのって笑っていたが、現代うちなー芝居ではないせいか、どこか言葉が異風なものとして入ってきた。

良かった、良かったで芸能担当記者は記事にするのかもしれないが、芝居女優も、よく聞こえなくて、と感動の色合いはなかった。

本土の劇団による沖縄をテーマにした舞台に持つ違和感に類似している。ウチナーグチは身体化され、体内リズムになって眠っているんだね。今日学生がダンスと音楽と脳の作用について読んだ論文の発表をした。つまり脳に組み込まれた感性・受容・共感する部分が従来と異なるので、わたしの脳細胞はうまく受け付けなかったということになるのだろうか?しかし、アメリカでも英国でもヴィエナでも東京や神戸でも現代劇を見てきた。沖縄の現代劇ももちろん見ている。だから現代劇を見慣れていないからではない。

スマホ投稿で、後程また。帰りは車で民謡を聞きながら戻った。


以下のような評がネットでありました。何回も巡演しているのですね。しかし「こまつ座」の舞台チケットが10,000円です。高いです!欧米並みに学生割引はあるのでしょうか?なぜこんなに高い舞台なのか、も気になります。逆手洋二さんの「燐光群」は確か3000円から4000円台で学割もありますね。井上ひさしさんは一般庶民にやさしい劇作家ではなかったのでしょか?10,000円のチケットを月に2、3回見れる階層?驚くのは10,000円のチケットを出しても無料でパンフレットが手に入らないことです。

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http://lavender.cocolog-nifty.com/stage/2013/04/post-1d45.html

「木の上の軍隊」 を見る
こまつ座&ホリプロ公演「木の上の軍隊」
原案 井上ひさし
作 蓬莱竜太
演出 栗山民也
出演:藤原竜也/山西惇/片平なぎさ
観劇日 2013年4月27日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 シアターコクーン 1階LB列3番
料金 10000円
上演時間 1時間50分

 ロビーではパンフレット(1500円)やトートバッグ(1200円)、Tシャツ(2200円)などが販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 こまつ座の公式Webサイトはこちら。

 舞台は前に少し張り出すように作られていて、そこに大きな木が作られている。幹を斜めに倒して、そこここの穴から人が出入りできるような巨木だ。そこに枝を張らせたり蔦のような「木を絞め殺す」木を這わせたりしている。
 私の席からだと横も見えるのだけれど、そこは小屋のようになっていて、ドアがつき、人が出入りできるようになっている。
 そうじゃないかなと思ったとおり、美術担当は松井るみだ。

 舞台にミンサー織り(だと思う)を着て髪を結い上げた片平なぎさが現れる。彼女の役名はない。多分、ガジュマルの木の精でもあり、この舞台の語り手でもあるという位置づけだ。
 シンプルなドレスを着たヴァイオリニストが舞台脇に控える。音楽の多くは彼女のヴァイオリンから生み出されていた。
 そこは沖縄の小さな島で、その木はガジュマルの木で、そこで暮らす2人は、山西惇演じる戦闘から逃げてきた上官と、藤原竜也演じるこの島で志願兵になった新兵だ。
 彼らは木の上から、ずっと、敵の野営地を見張り、その野営地から大きな音楽が流れ人々がダンスをしている姿を見届け、野営地がどんどん拡大していく様子を見守る。

 上官は、野営地から音楽が流れてきた日、日本が戦争に負けたことを知るけれど、新兵はそんなことは気がつく筈もない。
 一人は敗戦を知りながら、一人は敗戦を全く知ることなく、2人は木の上で2年間も暮らし続ける。
 新兵の邪気のなさが、上官の神経を苛立たせる。それは時に殺意にまで変じる。上官が苛立つのは、多分、自分が知っていることを知らない相手が、知らないまま自分に信頼を寄せているのが後ろめたいからだと見える。

 日本兵2人はずっと木の上にいる。ほとんど木から下りることはない。食料等を探しに行くときだけだ。
 一方の片平なぎさは自由に動き回っている。もちろん、木のセットの存在感が大きいのだけれど、それだけでなく、たった3人で通常よりも広くした舞台が確実に埋まっているというのは凄いことだ。
 片平なぎさの声は意外なくらい透る。歌なのか叫びなのか、高音をすーっと伸ばしているシーンが度々あるのだけれど、全く苦しそうに見えない。何かの劇評で「説明しすぎる」と書かれていたけれど、それは片平なぎさの問題ではなく戯曲の問題だろう。
 確かに、2人の日本兵の心情を語り、季節を語り、戦況を語り、日本国の現状を語る。特に2人の心情を語り手に語らせなくても良かったんじゃないかというのは私も思う。何というか、テレビで最近は字幕が無差別に出されるけれど、あれを思い出した。親切かも知れないけれど、過剰な親切だ。

 その語り手の立ち位置と、そして芝居の終わり方を見て、そうだこれは井上ひさしが書いたものではなかったんだなと改めて思った。
 やはり、違う。
 途中まで書かれていたものを書き継いだのか、モチーフだけもらって全くの新作として書かれたのか、その辺はよく知らないのだけれど、いずれにしても、この芝居は多分、井上ひさしの芝居ではないのだろうと思う。楽しいとは言えないテーマのお芝居だけれど、でも、最後まで楽しんで見たし、最後にこの2人はどうなるんだろうと引っ張られながら見た。
 でも、お芝居が終わったときに最初に浮かんだ感想は、やはり井上ひさしはもういないんだ、だった。

 井上ひさしが書いていたときから主役に決まっていたという藤原竜也の新兵も、山西惇の上官も、とにかくその存在感が凄い。広い舞台をほとんど覆うばかりだったと思う。
 上官が、沖縄は時間稼ぎのために差し出されたのだということを知っていたと告白したとき、この上官はそんなに上の地位にいたのか、それとも本土にいた人間はみなそのことを知っていたという趣旨だったのか、首を傾げた。流れに逆らってん? と思ったのは多分そこだけで(私が浅薄だというだけのことかも知れないけれど)、あとはひたすら引っ張られ続けたように思う。
 特に、新兵の「笑っているような泣いているような」叫びは圧巻。私には最初から慟哭の声に聞こえた。
 確かにそう考えると、語り手の女はここまで語らなくてもこの舞台は語っていたようにも思う。

 山西惇の上官がそれほどの上官に見えず、藤原竜也の新兵が新兵のようには見えないというのはあったけれど、それは意図でもあったのかなと思う。
 動く範囲は少なかったけれど、日本兵役の2人はほぼ出ずっぱりでこの木の上にいた訳で、実は地味に体力と筋力を使っていたんじゃないかという気がする。
 最後、斜めになっていたガジュマルの木が立ち上がり、2人が木にある穴から直立不動で立ち、ただひたすらこの「島」とこの「国」を見ていたとき、そして、沖縄の心情を新兵の心情として語ったとき、そこは逆に井上ひさしが見えるような気がした。

 いつ上演しても「今上演されるべき」と思わせる力がある。でもそれは、同時に、そういった状況がずっとあり続けているということでもある。
 厳しい重いテーマを、多分、ストレートにぶつけられたように思う。
 2人はその後、会うことはなかったという。そのことの意味を、意味がないならその理由を、考えなくてはならないと思う。
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