志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

オオゴマダラのさなぎの抜け殻を綺麗に撮った!

2011-01-23 20:07:12 | 心の劇場
ひねもすオオゴマダラが虚を満たしている。今日はさなぎの抜け殻でもUPしよう。また黄金のさなぎも!やるべきことは多々あれどーー、一応徹夜で論稿とAbstractをある程度仕上げるようにPC前で粘るつもり!
海も遠く、映画なんてもっと遠い!

でも今月末には鹿児島に行くことにした。なぜかケルト文化圏に胸騒ぎのようなものを覚えているゆえに!2006年にヘルシンキの国際学会で聴いたウェールズの大学から来た女性研究者の声音に今も心惹かれたままである。当の彼女には会えなかった。発表は録音された声と共に、映像が流れた。しかし映像の彼女が優しげに語ったウェールズの劇場と街の佇まいが心に波動を興したのである。ウェールズへ行きたい、またダブリンへ、スライゴーへ行きたい。あの彼女の優しげな声が脳裏にこびりついたままにある。これも不思議なさざめき!いつ行けるかどうかは何とも言えない。でも希望を抱いていたい。

優しい声に憧れ続けている。声に自信がなかったゆえに、声に魅了される。いい声だと思った学生がアナウンサーになったり、ある国立の女性詩人のお宅を訪ねた時、二階から聞こえてくる声に「ああ、いい声だと思ったら、NHKのアナウンサーだった」ということがあった。自分の声に自信がないのは、絶えず、声に恐れてきたからなのかもしれない。しかし、最近、映像の中の自分の声を聞いて意外にいい声だな、などと感じた瞬間があった、こんな声をしているのか、と妙に安らいだ気分になったりしていた。声と声が響きあえるのはいいね!思いがすなおに声になり、声がことばを意味を伝える。単純なことが意外に難しいということに驚く。思いをことばにすることが難しい。なぜか昨今、ほんとうのことばがほしいと思う。ほんとのことばを交わしたい。ことばが交わしあえる、という至福を求めているのかもしれない。得られないものを求める川渡り。しかし本当の言葉というのもどこか曖昧なままだなーー?ことばを一言発したらそこはもう修羅という年月の反動なのかもしれない。ことばを交わしたことがなかったのだと、そして今後もありえないーー。しかし、ひょっとしたら、ことばが黄金のさなぎのように輝きあえる対手がいるのかもしれない、という希望はもちたい。白い抜け殻のような、か細く風に揺れるような形でもいい。ことばがことばの風になる。

人と人は、ほんとうのことばを交わしあっているのだろうか?100年生きても短い人生、どれだけほんとうのことばを交わしあい人は天に吸い込まれていくのだろう?どれだけの思いがことばになり、伝えあえるのだろうか?

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