(久しぶりに池の鯉を見た!)
目からウロコのような気分で聞いていた。嘘で固めて政治権力の座よ。それでいいの?
「いいわよ。あの男連中を出汁にし、蹴飛ばして上に登っていったのだから~。周りはもっと悪い男たちがいっぱいいるじゃないの~」
「そうか、それでいわゆるファミニストのみなさんも特別批判らしきことしないんだ」
「上野千鶴子はだめだけど、恩師の愛人になってその理念を追求とかより、逆に権力の座の男たちを利用してのし上がるがいいじゃない」
「わたしのフェミニズムはちょっと彼女たちとは違うのよ」
「嘘で固めて騙してのし上がるのよ。それでいいの?」
「いいじゃない。周りを見たら結構いるじゃないの」
とのこと~。嘘も方便で世渡りがよければそれでいい~、とも思えないが、その彼女を喝采している大勢の都民がいた!
仮に「女帝小池百合子」を読んでかつ、彼女に喝采する多くの人々がいるという事実(仮定)に、驚愕するのだが、それでいいの、の発言にSTAY HUNGRY, STAY FOOLISHが思い出されたが、やはり嘘で世間を騙して駆け上っていく人生は、よくないのだという思いは消えない。それともそう思うこちらがどこかおかしいのか、と思ってしまうのはなぜ~?
「ジェンダーギャップが大きい日本社会であるゆえに、女性の感性や知性の表象としては芸術家や作家が最高ね」と話したのだが~。優れた俳優である女性たちを含め、作られたジェンダーの中で天性の女をフィクションにして生きるということを彼女は肯定していた。
よく生きることはよく演じることだ、を地で実践している、ということになる。なるほど!
つまり一人の女優が生の政治ドラマで主役を演じていて、その立ち居振る舞いに喝采を送っている構図が考えられる。マイノリティー政治家の紅一点が、大勢の男達を女王のようにこき使うライブを楽しんでいる300万人以上の都民ということになる。その演技が優れていることを念じるばかりだが、国政の長のヒーローの嘘まみれの演技より、まだ可愛げがあるゆえに、対照的に見て、愛らしく応援するいうことにもなるのらしい。
単に「女帝小池百合子」をkindleで読んで、話の筋立てにゾッとしたのだが、案外彼女のように達観して見ている凄い男や女たちがいるのだと思うと、今日から明日への東京都も面白い、ということになりそう~。
手元にひろさちやの『「ずぼら」人生論』の本があり、めくってみた。人間にとって大事な仕事は、老いること、病気をすること、死ぬこと、とある。また「いい世の中などあるわけがない」「悩むのは時間の無駄です」も~。「美学などクソくらえ、ずぼらにのんびる生きる」「しあわせな人は損ができる」も~。←ありがとう!「風狂のすすめー一期は夢よ、ただ狂え」はいいね。なぜか真面目の反対に楽になる短いエッセイが並んでいる。気を楽にできる。なるほどで~。コロナ以来、3ヶ月ぶりに会った友人には、やはり感化してしまう。謝!
じっくり読んではいないのだが、流し読みで~、1章が「おおいに「嘘」をついていいのです」で、その中に「嘘をついていいのが、今の日本社会」とある。おおいに小池さん的嘘が奨励されている日本なのである。道化を演じて、互いに笑ってなんとかおもしろおかしく生きていけたらいいのだが~。気が楽になる本に違いない。しかし、少なくとも研究なりテーマを追求することは、「真実とは何か」を意識せざるをえないはずなのだ~。