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一月前に沖縄タイムスホールで上演された新作組踊の劇評が今頃登場である。先日、間の者、マースヤーの女できりりとした踊りを見せた吉田まわさんに、批評がでないわね、と話していたばかりだった。
輪島さんの評は、新しい視点として「我身やこの浮世花や咲かさらん 糸や命繋ぎ 世果報給り」の越来真鶴姫の祈りのことばを持ってきたのが焦点だが、氏が沖縄芸能をよく見てはこなかった方だということがわかるのは、あらすじを紹介してもその所謂「護佐丸と阿麻和利の乱」を巡る史実やこれまでの舞台作品とその背景にコミットできない点だろうか。
現代沖縄の壮絶な歴史的経験の深部、という解釈に違和感が起こるのは、すべて虎松(金丸)の奸計という筋書き故でもあろうか。
この作品についてすでに印象批評をこのブログに掲載しているので、読んでほしい。
幸い台本を頂いたので、もう少し分析をしたいと考えている。
できれば録画映像も見たい。
組踊の系譜として、仇討ち物の作品を見ているが、朝薫の「二童敵討」から沖縄芝居の「阿麻和利」や現代組踊、そしてこの作品に至るまで、歴史上の出来事とフィクションの舞台作品の相関性に多様な表出があることは、とても興味深い。歴史、それも曖昧模糊のグレーゾーンがあり、それを踏まえてかつ表象されていく作品に、時代の相が表れている。