照屋勇賢さんの作品は以前「画廊沖縄」で拝見したことがあり、また昨今、「なはーと」でのインスタレーション 【(英語: installation art) は、1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像(動画)・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術】を鑑賞する機会があった。
確か画廊沖縄でも独特な紅型作品や紙箱、紙袋の中に本来の木を細やかに造形して、普段何気なく使用している消耗品であっても、その原型は何かと、意識を喚起させる作品が展示されていたと記憶している。
なはーとではスタジオに大きな板の造形がどかんと据えられていた。その物体はさっと目を通しただけで、そこから木や自然や人類の歴史の痕跡は感じ取れなかったが~。
展示期間が三か月弱と長いせいか、展示を見ている人はまばらで、ゆったりと普段より時間をかけて鑑賞できたかもしれない。分からない所を展示会場の管理をしている女性(監視役?)にうかがったりした。お二人に声をかけた。
お一人の方は丁寧にわからない所を指摘してくださった。単なる監視ではなく、作品や作家についての知識をもっておられたら、鑑賞する方々はさらに作品にコミットできるに違いない。
実際わたしだけではなく、二人ずれの中年の男性も、インスタレーショの作品について、質問したりしていた。
以前鑑賞したことのない作品もあり、またYouTubeなどですでに紹介されていたピザBOXの絵画制作などもあり、新しい移民や越境のテーマは小さな紙凹の中に動画が流れていて、それも同じテーマに見えて、対象は異なっていたり、それは、膝をつかなければ見えないような設置がされていたり、必ずしも見学者にやさしい展示ではないのもある。
コザ暴動を想起させる投げつけられた車の展示などはドキッとするし、見慣れた地元の新聞が両開きでつるされていて、同じメッセージがアラビア語など多言語で表示されているのを見ると、なるほどと思うと同時に、照屋勇賢という芸術家(美術家)の思想性と独自性、奇抜な発想に思い入れが起こってくる。沖縄戦時中の遺物の展示に数字が記載されている。例えば¥1945623と記載されている。1945年6月23日に何があったのか?¥のマークは風刺であり、されど戦争の残虐さのあきらかに、当時の人々のこの島の痕跡(悲劇)は、今でも心に突き刺さってくるその物に他ならない。
痛み(悼み)が起こる。涙が流れる。島が人々が痛めつけられ、破壊され、殺された事実の大きさが迫ってくる。
一方、ヘヴィー・ポップの風船はかろやかに壁いっぱいに白いクロスの上で踊っている。明るく涼しげに~。しかしその軽やかな風船に入っている物質が有害な物だったら、などと想像してみた。
インスタレーション、空間芸術の、鋭さ、時代を掬い採るエキスが表象されたそれらの作品を見ると、実に細やかな、微細な作業であることに驚く。丹念に造形していく作家の目線、手、思想が沖縄の歴史を伝統文化を根に据えて、たえず現在を見すえ、時空を越境しつつ世界に発信していることが見て取れる。
照屋勇賢は天才的(奇抜)な発想と歴史の現在を鋭く突き刺す芸術家に違いない。
ここから彼はどの方向に行くのだろうか。棒術の棒に貼り付けられたシールは皮肉にも見えた。アイロニーがちりばめられてもいる。膝を付かないと見れない映像は、見やすい方がいいに違いない。紙の船?流れる水が印象的だったが、じっくり観れなかったのは残念。
照屋勇賢がまぎれもなく沖縄の歴史や「伝統と現代」を色濃く映し出す美術家であることは確かだ。多くの県民や観光客に鑑賞してほしい。
年明けの1月24日にクロストークがあるのらしい。照屋勇賢、宮城茂雄、知念ウシの登壇である。さて沖縄の美術界隈の方々はどのように見つめているのだろうか。戦後沖縄美術史の専門の方などの登壇はないのだろうか。美術評論家もおられますね。知念ウシさんの思想性には相いれないものがあるし、宮城茂雄さんの舞踊が飛びぬけて優れているとも思わないけれど、照屋さんがどう発言するのかは、興味あります。大城さゆり学芸員はどんな経歴の方なのだろうか。ネットを見ると以下の紹介がありました。
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