志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

現代詩はことばの謎解きのように、言葉のゲーム感覚のような詩と直球のことばに分離するのか?

2012-11-29 23:32:33 | 詩、詩集

                (2階のベランダから見た夕焼け)

彫刻のようにことばを掘っていく詩があり、現象をなぞる詩があり、シュールに曖昧さを武器にする詩があり、

これ何?の読みにくい詩があり、わかりよく不思議なことばがあり、イメージのメタファーの飛躍があり、其々

だが、ある賞に受賞された方は、じつは受賞者なしのところ、かろうじて新聞社などの意向で賞に拾われたの

だがしかし、ご本人はそれを知ってか知らずか、つまり賞というのは、就職と同じで、一端その場所を空間を

得てしまったらそれを得た者勝ちのところがある。賞を得たら、その賞に値する詩というお墨付きがつくのである。

物事はラベルで決まる。それだけでもないのが、例えば『マルドロールの歌』のような詩集かな?あれほどの詩篇が

賞をもらっているわけではない。人は言葉のイメージのメタファーの凄さを感得するのである。そんな詩を書きたい。

沖縄はフランスにとってのアルジェリアと同じだとつくづく思う昨今である。沖縄に移住してきた、つまり日本(宗主国)

から沖縄植民地にきて表現をしている者達の感性も面白い。傲慢さではなくその落差が面白いと思う。旅人のような

感覚。以前ある人は医者と患者の差異があると言い切ったが、さりとて医者も患者になり癌で死んだりするので、他者

であり当事者でもあるのである。その根を共有できるところと共有しあえない溝の深さから迫ってくるものが何か?

に惹かれる。

落差や差異は石ころのように転がっていて、その石ころを拾って海に投げると幾層もの波線ができる、幾層もの人間の

感性の波が押し寄せる。それでも表象はある種の見えない氷山の集約されたエキスのようなもので、賞はつまりその他

大勢の感性のある種の抽象化された部分でもありえる。しかし、よそ者の感性と当事者の感性は、土地や空間への

愛着とも関係があるのかどうか、人はどこでも生きていけるし生きていけないものなのかもしれない。

シュールさは現実を生きているその総体で、シュールそのものの、生きているという川で、その川の流れの速さ、遅さ、

その流れの位置によってもかわる。

だからあの方がわからない詩がすばらしいなどと書いているのを見ると、なるほどあなたはその程度ですか、と思ってしまう。

詩は世界のメタフアーなんだ。アメリカ留学中に劇作家のアルビーが言っていたことば、metaphorがこびりついている。

隠喩、暗喩、比喩、あらゆるmetaphorの塊、それが表現の核なのかもしれない。現実はシュールで不条理に満ちている。

その中に美を条理を真実を求めることのたいへんさ、というより、人は川に流されて生きている。それぞれが創ってきた役割

つまり役柄を演じて生きているのだ。だからかのシェイクスピアが世界は劇場、男と女は単に役者だと言い切ったことは

すこぶる正しいのである。世界なり社会という劇場の中で演じている。演じさせられているのかもしれないのだね。

そこでわたしの詩だが、あることを隠すために記したことばがシュールな色合いを帯びる。しかし実はそのことばが発生する

根拠は常にそこにある。実は隠された愛であったりする。その愛を恋慕をことばにする時の曖昧さが面白いことばを生み出す

こともありえる。ある人への殺意や妬みが美しいことばに変身することもありえる。あの麗しく見える太陽の光を多く浴びている

ように見える人々が実は大きな妖怪なり大きな爬虫類の顔を晒し人間を食していたりするような、そうした幻想がそのまま

ことばになったりもする。ことばの不思議は力である。

 

パソコンに向きながら一人の食事をしながら面白いドキュメントでもないかと思って探してみたのが、インドの不可触民たち

の救い主のような日本人仏教指導者佐々井秀嶺氏に出くわしたりした。インド仏教の頂点に立つ方で、多くのヒンズー教徒

の中の不可触民の人々を仏教徒に改宗させることによって奴隷的精神の檻から解放している人でもある。バラモンを中心と

するヒンズー教徒の体系・精神のヒエラルキーからその鎖を解くために改宗する人々のドキュメントであり、一人の日本人の

インドでの修業やその道に生きる姿を録画していた。社会のどうしょうもない体系化された鎖を切るために改宗する人々の

群れ、にそれはどこでもありえる人間の救いの方策の一つなのだと、思えた。ある人間集団の営みの姿は他でも普遍化し

えるものを絶えず包摂しているのだ。それぞれの社会の体系の中で満たされない収奪される者たちはそこからの救いを

他の価値体系に求める。それは十二分にありえる、それは一筋の光であり、人間の絶え間ない道の探求であり、幸せで

あり存在の価値を求める求道的なものに近い。どのシステムでも完璧ではありえないゆえに人はまた絶えず追求し絶えず

真実のありかを求めていく。不条理の中の条理であり、条理の中の不条理を生き生かされる。何が言いたかったの?

わからない詩はない。すべてメタファである。直截な表現も曖昧でシュールな表現も今、生きている者たちの総体の何かの

断片をそこにただよわせている。だから彼女の論は破綻している!彼女は誰?

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24歳で自殺したロートレアモンがいる。犬猫の屠殺がありネズミが食されたパリでー。そこは戦争のさなか、人は大勢死んでいた。

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 犬猫の屠殺があり、と書かれた部分が消去されて表に表示されている。なぜか?Gooの検閲か?
  犬猫のとさつがありネズミが食されたパリでー。とさつの漢字が反映されないのかな?

 

 


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