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何気なく手にした古い雑誌(2004年特集)をめくったら新鮮に思えた。以前参加したシンポジウムの特集を全て掲載しているではないか、それに新城郁夫のエッセイも、なるほどで今まで一応研究対象にしていたものが新たに、巡ってきた。詳細にコミットしたいが、できない。疲れがどかっとやってきて、それをどうにかしないかぎり焦って論文をまとめることも厳しい現実で、シンポや集会に行かずサウナに行き、劇団「うない」さんの要件を片づけようと思う。
オリエンタリズム、インターオリエンタリズム、など、またパレスチナ的現象をすでに沖縄に見ていた鵜飼 哲の視線に間違いはなかったのだと、思えた。シャヒード展を見てそのシンポジウムに参加したのも懐かしい思いでだが、あと時のことばがすべて活字化されている。シンポでは目取真俊の質疑の中での話が「凄い」と思ったが、改めて読んでも、ウチナーイキガの矜持が感じられる。まさに今キーストーン沖縄の永久化が模索され、日米の餌食の構造は変わらないという、決定打の前に、沖縄はどんな戦術で巨大基地(核基地)に向き合えばいいのか、試されている。従来の運動形態とも異なる戦術も試されるのだろう。
怒りの拳に自衛隊でも導入する気配の権力の前にどう立ち向かうのか?国家利潤の前に沖縄の自主権は踏み潰される。それを黙って見過ごすマジョリティー、日本の民衆がいる。最大多数の最大幸福の民主主義=数の暴力の前でどう突き進むか?制度の甘いしずくを浴びる者たちもそれから疎外されている者たちも、法体系の中で生き生かされている。
パレスチナは遠くて身近にあって、じつはレトリックさえ同じパレスチナ沖縄を日米はもくろんできたのである。見えない檻の中に住んでいる沖縄の住民である。見えない隠された軍隊の機密・装置が沖縄に積もっているのである。その島で生きている140万人の命と日々の生活は、実は恐ろしい軍事要塞の上に成り立っているのかもしれないのだ。キーストーン沖縄を返上するための最良の方法論とは何だろう?
名護は即座に辺野古移設反対の拳をあげた!基地返還プロジェクトの中身の欺瞞性は変わらない。嘉手納も普天間も他の基地もすべていらないのだ!自衛隊基地もいらない。本部山頂からはミサイル射撃ができ迎撃もできる基地がある!以前は米軍が管理で今は自衛隊と米軍の管理か?復帰前に将校だった米国法学部教授がいみじくも言い切ったのだ、「あの山からはミサイルが発射できるんだよ。攻撃が可能だ」と。つい最近の出来事で驚いた。「やはり」だった。
「この沖縄に、わが子をあやす声がきこえる沖縄人の普段の生活空間の隣に、殺傷訓練を敷く米軍施設があるということは、「祖国」(?)が沖縄人に再び地獄絵図を強いていることの証左だと思っています」
あなたの指摘される地獄図のイメージを日常の中で忘れ去ることがないこと、ですが、今の沖縄は悪夢がまた舞い戻ってくるような気配が充満してきた、そんな空気ですね。