志情(しなさき)の海へ

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『EDGE』(2004年)その特集≪イメージのイクサ場≫をペラペラめくると占領され続ける沖縄が!

2013-04-06 13:40:23 | 戦争とその表象

何気なく手にした古い雑誌(2004年特集)をめくったら新鮮に思えた。以前参加したシンポジウムの特集を全て掲載しているではないか、それに新城郁夫のエッセイも、なるほどで今まで一応研究対象にしていたものが新たに、巡ってきた。詳細にコミットしたいが、できない。疲れがどかっとやってきて、それをどうにかしないかぎり焦って論文をまとめることも厳しい現実で、シンポや集会に行かずサウナに行き、劇団「うない」さんの要件を片づけようと思う。

オリエンタリズム、インターオリエンタリズム、など、またパレスチナ的現象をすでに沖縄に見ていた鵜飼 哲の視線に間違いはなかったのだと、思えた。シャヒード展を見てそのシンポジウムに参加したのも懐かしい思いでだが、あと時のことばがすべて活字化されている。シンポでは目取真俊の質疑の中での話が「凄い」と思ったが、改めて読んでも、ウチナーイキガの矜持が感じられる。まさに今キーストーン沖縄の永久化が模索され、日米の餌食の構造は変わらないという、決定打の前に、沖縄はどんな戦術で巨大基地(核基地)に向き合えばいいのか、試されている。従来の運動形態とも異なる戦術も試されるのだろう。

怒りの拳に自衛隊でも導入する気配の権力の前にどう立ち向かうのか?国家利潤の前に沖縄の自主権は踏み潰される。それを黙って見過ごすマジョリティー、日本の民衆がいる。最大多数の最大幸福の民主主義=数の暴力の前でどう突き進むか?制度の甘いしずくを浴びる者たちもそれから疎外されている者たちも、法体系の中で生き生かされている。

パレスチナは遠くて身近にあって、じつはレトリックさえ同じパレスチナ沖縄を日米はもくろんできたのである。見えない檻の中に住んでいる沖縄の住民である。見えない隠された軍隊の機密・装置が沖縄に積もっているのである。その島で生きている140万人の命と日々の生活は、実は恐ろしい軍事要塞の上に成り立っているのかもしれないのだ。キーストーン沖縄を返上するための最良の方法論とは何だろう?

名護は即座に辺野古移設反対の拳をあげた!基地返還プロジェクトの中身の欺瞞性は変わらない。嘉手納も普天間も他の基地もすべていらないのだ!自衛隊基地もいらない。本部山頂からはミサイル射撃ができ迎撃もできる基地がある!以前は米軍が管理で今は自衛隊と米軍の管理か?復帰前に将校だった米国法学部教授がいみじくも言い切ったのだ、「あの山からはミサイルが発射できるんだよ。攻撃が可能だ」と。つい最近の出来事で驚いた。「やはり」だった。


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2 コメント

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「またはその後」 (participate)
2013-04-06 22:59:04
 桑江タンクファーム、キャンプ桑江、キャンプ瑞慶覧、普天間基地、牧港補給地区、那覇港湾施設。4月5日に発表された日米両政府による嘉手納基地より南の米軍施設返還計画の合意は、普天間基地については辺野古移設ありきの「2025年度またはその後」、そのほかの米軍施設も「またはその後」の足枷付きのいわば沖縄人の頭越し合意で、やはりそうか、日本人が好んで使う「沖縄(人)の負担軽減」という意味不明の言質にそった水も漏らさないきめ細やかな美しい仕上がりになっているなと思わざるをえませんでした。米国を畢竟父と崇める政府要人たちの理解を超えた度重なる沖縄詣でにも似た上っ面の「沖縄(人)の負担軽減」というテーゼが、マスメディアという舞台で何の音曲をバックにしているか知らず飛び跳ね狂うさまは、自国民の苦渋をないがしろにした稀代の政権の面目躍如たる舞台劇を観賞しているいやな心もちになりました。意識的に見え隠れさせながらじわりじわりと病巣を広げていく癌細胞のように、宜野湾市と名護市、名護市と名護漁協、那覇市と浦添市などの例をあげるまでもなく、悪しき増殖の種をここかしこにばら撒き散らしながら沖縄人どうしの利害分断を図る仕掛け技の鮮やかさとその手際の狡猾さに感心します。ことここにきて今さら言うのも噴飯ものですが、帰属すべき国として憧憬し、固い同胞意識を寄せたあの「祖国」が戦後これまでしてきたわれわれ沖縄人に対する差配や立ち居振る舞いのありようを見るにつけ、我が子に手をかけ乳飲み子の息を止め自刃していった阿鼻叫喚の沖縄人の地獄絵図をまたぞろ繰り返させるのかと煮えたぎるような憤怒を覚えずにはいられません。これを被害者意識だと一笑に付して何の解決になるのでしょう。この沖縄に、わが子をあやす声がきこえる沖縄人の普段の生活空間の隣に、殺傷訓練を敷く米軍施設があるということは、「祖国」(?)が沖縄人に再び地獄絵図を強いていることの証左だと思っています。ここにこういう一文があります。今年1月5日付け地元紙の書評欄でジャーナリストの金平茂紀氏は「誤解だらけの沖縄・米軍基地」(屋良朝博著)について冒頭こう始めています。「戦う相手は米軍ではない。日本政府なのである。」と。
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まさにその通りですね。溜息がでます! (なさき)
2013-04-07 23:47:05
レスありがとうございます。さてこの状況を前にわたしたちはどうこの透明な檻を突き破ることができるだろうか?≪闘うべき相手は米軍ではなく、日本政府である。≫政府(権力・資本)に対するマルチチュード、グラス・ルーツの力をどう結集することができるか、厳しいですね。

「この沖縄に、わが子をあやす声がきこえる沖縄人の普段の生活空間の隣に、殺傷訓練を敷く米軍施設があるということは、「祖国」(?)が沖縄人に再び地獄絵図を強いていることの証左だと思っています」

あなたの指摘される地獄図のイメージを日常の中で忘れ去ることがないこと、ですが、今の沖縄は悪夢がまた舞い戻ってくるような気配が充満してきた、そんな空気ですね。
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