さきほどまでCruxでロシア-ウクライナ戦争の現状を捉えた動画を観ていたら、いきなりこの動画が登場です。昨今ネットで人気のあるひろゆきさんの辺野古の座り込みについてのコメントが話題になったせいか、この動画の登場なのでしょうか。ひろゆきさんは歴史的視点を持っていないようです。即物的、即時的な感覚(感性)で状況に反応している印象を持ちました。
しかし、この動画を視聴していると、ひろゆき効果で現場の辺野古に来る人々が増えたとのことです。阿部 岳さん、ツイターで炎上しているのですが、氏のコメントは理解できます。ひろゆき現象の背後の潮流は、ちょっと不気味にも感じます。鬱屈したガス抜きのような現象、とても軽く、表面的に見え、そこからどこへ向かうのだろうか。
気になるのは偽善、真実、事実、FACT、歴史、力学、絡められた(歪められた)システム、服従、屈服、奴隷根性、冷笑、抑圧、支配、被支配、卑屈、逃避、諦観、従順、体制、多次元、国家の暴力、軍事的暴力、繰り返される日常生活、現実、非現実、多様な物語、法体系、抵抗、忍従、監視、メディアの責任、SNS、草の根運動、多数派と少数派、言葉、多様性、連帯、ヘイト、無関心、傍観者、米軍基地、地位協定、日米安保条約、核の存在、中国、台湾、韓国、アメリカ、等。
10/20 なぜ“私たち”は座り込むのか #辺野古のいま
I don't hate you so don’t hate me!
★八重洋一郎さんの詩集『転変・全方位クライシス』も読んでほしいです。
「醜悪の中で」の詩篇の中で八重さんは、ナザレのイエスはキリストだ と詩の最後に書いているが、注2で「防衛省は、現在建設中の辺野古米軍新基地に、自衛隊の「水陸機動団」が常駐すると発表。2015年。米海兵隊と陸上自衛隊が極秘のうちに合意。普天間の負担軽減などは全くの「虚偽 詐謀 沖縄騙し 住民潰し」。辺野古のイエスたちが思われる
と記しています。八重洋一郎さんには「大浦湾の辺野古で抗う人びとがまがうことなくキリスト(救世主)と重なり神々しく見えてきたのだろう」と、詩集の解説者、鈴木久佐雄氏は書いています。
八重洋一郎さんは、三部作として他に『日毒』、『血債の言葉は何度でも甦る』の詩集も出版されています。
ひろゆきさんのツイターで興味を持ったのは、沖縄の人のことばについてのコメントです。廃藩置県〈明治12年〉以降に沖縄語 - Wikipedia、琉球諸語 - Wikipediaから共通日本語へとことばの転換がなされていった沖縄〈人〉は、接ぎ木された言語感覚を持っている歴史ゆえに、沖縄の年配の方々のことばがまろやかな日本語ではないのは当然かもしれません。近代沖縄の人々はウチナーグチ(沖縄語)を日本語に翻訳してきたのです。現在も多様な琉球諸語が根っこにあり、その上に接ぎ木された共通語があるのは事実です。琉球諸語(あるいはシマクトゥバ)を100%話せる人数も少なくなっています。しかし沖縄の人々の心情の根っこにあるのは芸能、歌・三線に代表される島唄(民謡)や踊り、組踊、沖縄芝居などの根にある8886の琉歌のリズムだと思います。民謡や歌謡は宮古、八重山、与那国などはまた独自のリズムを持っています。
ウチナーグチ、ウチナーヤマトグチは日本語と混じり合いながら話されています。日本語がなめらかではないのは独自の口語が根付いているからだとも言えるかと思います。郷にいれば郷にしたがえで、東京や大阪に住み慣れた沖縄系日本人のみなさんの言語表出は、一般の日本人と変わらないはずですね。テレビ・ラジオ、映画、音楽、YouTubeなどは同じように享受しているので、若者たちの言語表現なり表出は差異がなくなっています。
地域差なり地域の色合いの違いはあります。それはアメリカの英語のイントネーションやアクセントが東西南北の地域により異なり、また人種によってもある種の違いがあるのと類似しているかと思います。日本も県や地域により独自の口語、言葉遣いで話されています。