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東アジア共同体研究所(EACI) News Weeky Vol.039 「琉球王の使節団が伝えた幻のようかん」

2015-10-04 11:59:46 | 日本の過去・現在・未来

東アジア共同体研究所(EACI) News Weeky Vol.039 「琉球王の使節団が伝えた幻のようかん」】

  
 
 
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    EACI News Weekly 第39号(10月2日号)
   東アジア共同体研究所(East Asian Community Institute )
    http://eaci.or.jp/

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 【目次】

 【1】《今週のニュース 9/26-10/2》
  政治(3)、経済(2)、国際(3)、社会(2)

 【2】《UIチャンネル放送予告 No.122》
 10月5日(月)20時 鳩山友紀夫×木村三浩(一水会代表)対談
 http://live.nicovideo.jp/watch/lv237106238

 【3-1】《EACIレポート》
  10月4日(日)13時~明治大学で シンポジウム「日中友愛外交の道を探る」

 【3-2】《EACIレポート》
 10月16日~17日沖縄で「第10回しあわせコンサート」開催

 【4】《研究員コラム》
 緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
 「琉球王の使節団が伝えた幻のようかん」

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【1】《今週のニュース 9/26-10/2》
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【政治】
■海兵隊の15%をアジア太平洋地域へ 米司令官が示唆
 (琉球新報  2015.9.27)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249498-storytopic-3.html

■知事「基地は人権問題」 国連演説の意義説明
 (琉球新報  2015.10.1)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249779-storytopic-271.html

■武器輸出へ防衛装備庁発足 米国以外とも軍事協力強化
(東京新聞 2015.10.2)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015100202000141.html

【経済】
■TPP 自動車の原産地規則で日本が譲歩案
 (NHK 2015.10.2)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151002/k10010256421000.html

■TPP閣僚会合:日米、コメ最終調整へ 乳製品なお隔たり
 (毎日新聞 2015.10.1)
http://mainichi.jp/select/news/20151001k0000m020135000c.html

【国際】
■パレスチナ、オスロ合意の破棄を示唆 イスラエルは反発
 (CNN 2015.10.1)
http://www.cnn.co.jp/world/35071263.html

■オバマ氏、外交の成果強調も限界露呈…国連演説
 (読売新聞 2015.9.29)
http://www.yomiuri.co.jp/world/20150929-OYT1T50002.html

■クローズアップ2015:シリア領空爆 露、反体制派狙い濃厚
 (毎日新聞 2015.10.2)
http://mainichi.jp/shimen/news/20151002ddm003030178000c.html

【社会】
■海保が初の修士課程=東南アジアと連携強化
 (時事通信 2015.10.1)
http://www.jiji.com/jc/zc?g=soc&k=201510%2F2015100100053

■PTSD診断書提出 沖縄戦民間被害賠償訴訟
 (琉球新報 2015.10.1)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249783-storytopic-1.html

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【2】《UIチャンネル放送予告 No.122》
 10月5日(月)20時 鳩山友紀夫×木村三浩氏(一水会代表)対談
 http://live.nicovideo.jp/watch/lv237106238
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10月5日(月)20時からの第122回UIチャンネル放送は、一水会代表の木村三浩氏をお招きして鳩山友紀夫×高野孟×木村三浩鼎談を生放送でお送り致します。

木村三浩氏プロフィール
昭和31年10月19日、東京都文京区生まれ。国士舘高校入学とともに「軍歌研究会」などで右翼活動に目覚め、活動を実施。昭和53年8月には「日本青年社尖閣列島領有決死隊」の一員として尖閣諸島魚釣島に上陸、日本の実効支配を世界にアピールするため灯台の建設に携わった。2回の上陸 で通算約2ヶ月の実効支配であった。 昭和56年9月、民族派青年運動の前衛部隊である「統一戦線義勇軍」の結成に参画、議長を務める。「反米愛国抗ソ救国」を旗印に急進的右翼活動を展開。 池子米軍住宅建設反対闘争などを担った。 最終学歴は慶応大学法学部政治学科卒。
平成2年4月、湾岸戦争後のイラクを度々訪問。イラクバース党との国際連帯の議定書を調印。 国際愛国者の連帯を進めている。ロシア、フランス、オーストリア、ハンガリーなどの愛国政党から国際会議に招待を受け出席するなどして今日まで連帯を維持している。また、マスメディアでは数々のコメント、雑誌寄稿などを発表している。いずれも単なる観念論でない現実を直視したところからの思想構築を第一義にしている。
平成2年、一水会政治局員、平成4年、一水会書記長、平成12年1月、代表に就任 現職。
著書:『お手軽愛国主義を斬る』(彩流社)、『男気とは何か』(宝島新書)、『憂国論 新パトリオティズムの展開』(彩流社)、『鬼畜米英 がんばれサダム・フセイン ふざけんなアメリカ!!』(鹿砦社)、 『右翼はおわってねえぞ! 新民族派宣言』(雷韻出版)、近著で対談本として『領土とナショナリズム』(三一書房)がある。
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【3-1】《EACIレポート》
10月4日(日)13時~明治大学で シンポジウム「日中友愛外交の道を探る」
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10月4日(日)13時30分(開場は13時)に開催されるシンポジウム「日中友愛外交の道を探る」(於:明治大学グローバルホール)にて鳩山理事長が講演致します。

場所 :明治大学グローバルフロント1F グローバルホール
   (御茶ノ水駅・新御茶ノ水駅下車)
アクセスマップ: http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html
キャンパスマップ: http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html

資料代 : 700円

報告: 矢吹 晋氏 (横浜市立大学名誉教授)
    「原点から再考しよう」

報告:孫崎享氏(東アジア共同体研究所所長)
    「独仏は協力、日中は対立、なぜ?」

報告:荒井利明氏(元滋賀県立大学教授)
    「私たちにとって中国とは何か」

特別発言:鳩山友紀夫氏(東アジア共同体研究所理事長、第93代内閣総理大臣)
    近著:鳩山友紀夫・高野孟など『なぜ、 いま東アジア共同体なのか』
    (花伝社、2015年)

司会:高野 孟氏(ザ・ジャーナル主宰)

開会挨拶:西川伸一氏(政治制度研究センター)

閉会挨拶:村岡 到氏(NPO日本針路研究所)

共催:明治大学・政治制度研究センター
    NPO日本針路研究所

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【3-2】《EACIレポート》
 10月16日(金)~17日(土)沖縄で「第10回しあわせコンサート」開催
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10月16日(金)~17日(土)に沖縄セルラースタジアム那覇でイベント「しあわせコンサート」が開催されます。歌手の加藤登紀子氏や沖縄のミュージシャンなど総勢30以上のアーティストが参加します。また、フリーマーケットや屋台などの催しもあり、アジア食文化研究会(事務局:東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター)からも「アジア麺ロード」屋台出店予定です。ぜひご参加ください。

イベント名:第10回しあわせコンサート 青い海と青い空のゆいまーるフェスタ

日程:2015年10月16日(金)、17日(土) 12時~20時

場所:沖縄セルラースタジアム那覇

参加費:無料

主催:しあわせコンサート実行委員会(NPO法人プロミスキーパーズ)

事務局:NPO法人プロミスキーパーズ
TEL.098-988-4781 FAX.098-988-4787 E-mail siawaseconcert@gmail.com

後援:沖縄県、那覇市、那覇保護観察所、沖縄県社会福祉協議会など

詳細は「第10回しあわせコンサート実行委員会」ブログへ
http://siawaseconcert.ti-da.net/
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【4】《研究員コラム》
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「琉球王の使節団が伝えた幻のようかん」
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琉球王の使節団が伝えた幻のようかん
熊本県天草市河浦町崎津。来年の世界遺産登録が確実視されている「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つ。13の資産のうち、唯一、熊本県に属している。小さな漁村にそびえるゴシック様式の教会は、海の天主堂とも呼ばれる。教会へ向かう道の入り口で「杉ようかん」を売っていた。細長い薄い餅に無数の針をまとめたような杉の枝が2本載っている。中の黒餡が透けて見える。杉の枝をとって、包みのサランラップごと二つに折る。こうして(細長い長方形にして)食べる、とご主人から教わった。パクリパクリと二口で終わり。お茶がこわい。そう、これはようかんというより、薄皮まんじゅうではないか。
ご主人と話していると、「200年続いて途絶えていたが最近復活した。元は漂着した琉球使節から教えてもらった、記念碑もある」という。なに?さっそく行ってみなければ。崎津集落の反対側の道路に回ったが、途中観光タクシーに聞いても分からない。10分ほど走るとありました。海岸沿いに約2メートルの四角形の柱が立っていた。「琉球王施設船漂着地跡」の字、上部の菱形には三本マストの船が浮き彫りになっている。なるほど江戸上りの船だ。
ここは天草の夕陽八景にも選ばれている。おだやかな湾で、すぐ前にも島々が広がる。
おそらくは隣の崎津港に入りきれずこの目の前の浅瀬にでも乗り上げたのだろう。予定外の場所だから「漂着」と呼ばれたのではないか。「難破」するような海岸ではない。

宴会続きの琉球使節
ここにたどり着いた琉球使節は1790年に琉球を出港した宜野湾王子朝祥の一行だ。
彼は1789年2月12日、11代将軍家斉公就任を祝う慶賀使の正使に任命された(24歳)。家譜にはその後、首里王府より金銭や花、布、焼酎などを頂戴したと記されている。
*沖縄県史ヴィジュアル版~琉球使節の江戸参府~によりながら記す。
「1790年4月5日 聞得大君御殿と三平等の殿内に祈願に伺った時、国王・世子・王妃から使者をもって祝儀の言葉をいただき御花(花米)各1籠と御玉貫各1双をいただきました。」
「1790年5月10日 国王よりのお招きで首里城御書院ではなむけの宴を開いていただき、御盃もいただきました。また国王より使者をもって官香5杷・太平布10疋・焼酎2壺を、また御内原より官香10杷・島紬2端・島細上布1端・綿子2杷、他をいただきました。」

1790年6月6日、那覇を出港、6月9日、いまの鹿児島県の山川に到着。陸路で城下に向かう。この後の3カ月間に、お寺参りや宴会が14回記されている。花鉢や盃、猪、鹿を貰った、ともある。なにやら宴会とプレゼント交換に明け暮れている感じだ。
家譜によれば「1790年9月10日、太守公のお召しを蒙り、宴を賜りました(御吸物頂戴の時、太守公自ら御酒を頂き、献酬の礼をしました)。同時、音楽を演奏し舞踊をお見せしました。丁子風呂1個・御肴鉢1個・花鉢1個・茶家1個・酎家2個・盃8・猪4肢・鹿4肢を賜り、品を献上しました。」
この前にも能を鑑賞したり花火を見たり、川遊び、節句のお祝いと遊びに余念がない。これより3か月後、プレゼント攻勢と宴会シリーズは頂点を迎える。目的地の江戸城では11代将軍徳川家斉公以下、徳川御三家に挨拶、お土産品の献上、頂きもの。蹴鞠・曲馬、手品・伊勢神楽の鑑賞など。サーカスから踊りまで堪能している。もちろん琉球側からの音楽の演奏は評判で、行列の通る道順には桟敷を構えて見物する人びとが多かった。

1790年の宜野湾王子朝祥の場合、那覇出発が6月6日、帰国が1791年の11月17日。1年5カ月の間の約50日について、参拝や宴会、献上品などついて詳しく記してある。ところが1790年の9月10日から40日以上記載がない。43日後、次のような記載がある。
「10月23日 船で大坂川を上る時、御檜重(料理)1組を頂きました。」
既に(現在の)大阪着。この間は海路で九州の西海岸を経て北上、関門海峡を通って瀬戸内海へ。大坂で上陸する。40日以上の船旅が続く。(この間の記述が空白)大阪に上陸した後、江戸までは約1カ月陸路を辿る。片道2000キロの大旅行だった。
*九州の西海岸を北上中に嵐に襲われ、天草の崎津港(予定地)の隣の海岸に「漂着」した、と推測できる。

江戸上りとは何か
沖縄県が出している那覇を中心とした沖縄の位置、という地図がある。「大交易ルネッサンス」(吉川博也・緒方修共著)の裏表紙にも載せた。那覇から1000キロ圏内に台湾と九州がそっくり入る。台湾の方が近い。福岡まで飛行機で1時間半、台湾までは1時間10分。だから私が外国へ出かけるときはほとんど台北空港経由だ。2000キロ圏内にはフィリピンのミンダナオ島の半分、中国は広東省・福建省から海南島まで。朝鮮半島は全て入る。
その昔、琉球からマラッカ海峡まで出かけていた。倍の4000キロ圏内だ。そこではインド商人と取引していた。つまり琉球の商圏は世界貿易ともつながっていた。
琉球が中国と緊密な関係があったことは良く知られている。北京から冊封使が首里城へ来る。琉球からは北京へ朝貢に出かける。回数は171回を超える。二位のベトナムの朝貢回数が89回(三位以下は70回代でチベット、ハミ、チャンパ、シャムと続く)だから段違いだ。
琉球と中国との付き合いは、1372年、明の使節が来琉した時から始まる。直ちに中山王察度は進貢使を派遣する。1404年には察度の後継の武寧に対し明から冊封使が送られる。合計24回。ちなみに琉球からの朝貢が圧倒的に多く(171回!)、中国側は回数を制限したこともある。本当は2年に一回のはずが、琉球側からは送り出した船に続いて翌年迎えに行く船をまた派遣し、結局毎年出かけたりしていた。中国側としては礼節を重んじ来てくれるのは良いが、お土産をもたせるのが大変なのだ。はっきり言ってありがた迷惑が続いていた。冊封の最後は1866年。4世紀半に及ぶ。
冊封使は300人~500人、半年から8カ月那覇に滞在した。当時の琉球の人口は推定約10万人。そこへ最高の文化を誇る集団が滞在するのだから影響は大きい。料理からファッション、芸能から学問まで全てにわたって琉球が影響を受けた。今日見られる琉球の料理、衣装、音楽などはほとんどがこの朝貢・冊封の文化交流の賜物といってよい。
琉球から福建省を経て北京へ向かうルートは約3000キロ。江戸までは約2000キロ。しかし心理的距離は江戸の方が遠かっただろう。
江戸上りは第一回の1634年から最後の1850年まで2世紀強の間に18回。琉球にとっては北京詣での方が重要で、江戸上りは薩摩藩との付き合いのようなものだったろう。
将軍の就任を祝う慶賀使、琉球国王の就任を感謝する謝恩使の二つがあった。江戸上りの施設は正使・副使のほか楽師・楽童子まで100人前後で構成される。慶賀使と謝恩使が同時派遣の場合は170人前後の人数だった。
それを率いるのが薩摩の役人たち。全体では1000人を超える大行列だった。
なぜ薩摩が率いるのか。年代に注意してほしい。1634年から江戸上り開始。この25年前に薩摩藩の琉球侵攻(1609年)があった。以後は幕藩体制下に組み込まれ、薩摩の支配をうけることになった。しかし薩摩は琉球に中国との関係も続けさせ、利益をかすめ取る作戦をとった。琉球としては中国には朝貢、徳川幕府には江戸上り、と二重に従属した。
*このあたり米国と日本へ「従属」している現在の沖縄と似ている。

薩摩としては日本と違う国を従えた大名行列を見せつけることで幕府におのれの力を誇示することが出来た。琉球の一行には、ことさらに中国の恰好をさせ銅鑼を鳴らしたりして異国風を装ったという説も有力。
幕府としては経費のかかる江戸上りにはあまり乗り気ではなかったようだ。それが変わるのが1710年の使節派遣の時から。当時の東アジアの最大の文明国は中国、周辺諸国から朝貢使節を迎え、自らは冊封使を送っていた。中華帝国まだ華やかなりし頃だ。
徳川幕府としては、江戸には隣の朝鮮半島から朝鮮通信使として慶賀の使節が派遣されていたが、これは友好国としての扱い。一方、琉球は薩摩藩が侵攻した国。その薩摩藩は江戸の「アンダーコントロール」にある!
東アジアの中で圧倒的に強いのは中国。しかし日本だって負けちゃいない、「ちゃんと琉球を配下に置いているんだもんね」・・なにか安倍首相の考えに似ているような気もしてきた。

江戸上りは1854年にも予定されていたが中止された。理由は地震のため。53年、54年と大地震に見舞われている。さらに1853年7月8日には黒船来航、と徳川幕府は土台から揺るがされている。幕府は、薩摩が江戸上りに乗じて江戸を攻めて来るのではないか、と恐れていた。そりゃそうだ。1000名もの行列が慶賀と称して江戸城へ乗り込んで来たら防ぎようがない。江戸上りは1850年で終了した。
しかし1872年には明治政府からの要請で琉球国から維新の祝儀使者として、江戸から名を替えた東京へ向かう。そこで琉球使節が聞かされたのは琉球国を日本の藩とする。国王は藩主とする、という内容だった。7年後の1879年の琉球処分の始まりだった。

以来、沖縄の受難が続く。最大の悲劇は沖縄戦、そしていまなお沖縄戦は終わっていない。
海を埋め立て新しく軍事基地が作られようとしている。
9月9日までの1カ月の工事休止、5回にわたる政府と県の協議は決裂。読売新聞の9月8日の社説には笑った。翁長氏の「硬直的な姿勢」に対する批判が少なくない、としている。
―翁長氏が集中協議で、普天間問題の「原点」を、「普天間飛行場の危険性除去」でなく、「戦後の米軍による強制収用」と言い放ったことへの反発もその一つだ。―
田舎大名が将軍様に対等な口をきくな、と言わんばかりだ。幕府ご公認の瓦版が江戸家老に成り代わり、県知事などとはしゃらくせえ、かといってオナガと呼び捨てにするのも品が問われる、とりあえず「氏」を付けてやるが、こんな男を沖縄県民の代表として認める訳にはいかない、こちらが辺野古しかない、と言っているのに無礼者め、前の藩主はちゃんと幕府から金をもらい良い正月が迎えられると喜んでおったではないか、何が不満で公儀に逆らうのじゃ、切腹じゃ、いや打ち首じゃ、反対する漁民や百姓共はミサゴ(*鷹の一種の猛禽類)を派遣し最新式の種子島で撃ち殺せ・・・と読める。(読みすぎか)*オスプレイ

天草に戻る。訪れるのは半世紀ぶりだ。以前見た光景が忘れられない。畑の一角に木造の教会があった。早朝、オルガンの音が響いていたように思う。中ではこれから畑仕事に向かう農婦たちが頭に小さな布きれを付け、ミサをあげていた。
山が多いのにも驚いた。米がとれず貧しい島々だ。熊本県ではあるが対岸の長崎県との関係が深い。
司馬遼太郎の「街道をゆく17 島原・天草の諸道」を読んだ。
島原と天草とは、同じ目(切支丹弾圧)に遭っていながら、天草は「どこか風穴があき、どこにあるとも知れぬステンドグラスから一条の光がさしこみつづけていたような印象がある。」
そして「国家というものを大きな立場から寛闊(かんかつ)に運営してなお統御できるという自信がなくなった場合―政治が矮小化した場合―国内における少数分子―異教徒―への締め上げが悲惨なものになってゆくらしい」
私は、異教徒を沖縄県と読み替えて納得した。

杉ようかんの店のご主人から訊かれた。
「沖縄ではなにかで包んだ餅がありますね」。
「月桃の葉で包んだ餅です」。
琉球使節が伝えたものは「ムーチー」だったに違いない。月桃の香りが杉に代わり、天草の200年続く伝統菓子として今も生き続けている。

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