日本各地には、樹齢何百年と云った樹木はいくつも有ります。
しかし、椿の木で650年というのはそうは無いと思います。
その樹齢650年の椿の木が、実は家の近くにあるんです。
人が25年で子孫を残して行ったとしたら、650年前と云うのは26世代も前のご先祖様の時代になる訳です。
それこそ「悠久の時」とはこう言う事を指すんだろう。
でも、今年は花の付が少ないです。
多い年は、明らかに木全体が赤く色付きます。
地面からは、極太の幹が何本も生えていてその一本でもとても一人では手を回すことは出来ません。
その先に椿の花が咲いています。
幹の近くから周囲を見ると、大きな傘の中に居るような気がします。
石碑は後世の物でしょうけどそれにしても相当な古さを誇る石碑です。
以前から地元では古い古いとは聞いていましたが、正式な見解として表明されて説明文の看板が付くと、こんな樹木が身近に有る事に今更ながらに驚きです。
仕事上の社内の表彰制度が有ります。
社内だからといって侮れません。
結構な狭き門なんです。
その表彰の受賞に自分が10年以上打ち込んだ業務がノミネートされ、遂には3日前に受賞が承認されました。
快挙です。
社内規定が大幅に変更されてからの第一号です。
とにかく10年以上いろんな課題が発生してはその対処に取り組んで改善して発展させて来ました。
きっかけは、誰に強制されたわけでも無く、自分から必要性を感じて行動を起こした事が切っ掛けで、気が付いてみれば社内の業務に無くてはならない存在になっていて今になっって気が付けば自分でも驚きました。
並みの努力での成果では、絶対もらえない賞だけに、自分の会社人生の最後の華として最高の頂き物となりました。
こんな事は数千人の社員の中でも非常に稀ですから、その感激は一塩です。
授賞式は10月10日に行われます。
今日もこれとは直接関係ないですが、後輩が世話になったからと言って、新橋の飲み屋でお酒をご馳走してくれました。
彼からご馳走頂くのは初めてで、後輩と言いながら結構きびしい口調の人でしたが、自分としてはその反論の中から色んなことを学び改善、発展させて来たので、こちらが感謝すべきところですが、今日は快くその想いを受け止めさせて頂きました。
聞けば相互に利益は有ったようで本当に良かったです。
気掛かりなのは、その社内業務の環境からルールまで殆ど自分で構築して来たので多くのツール含めての引き継ぎが大変で、異例の2年もの引き継ぎ期間を設けてもらっても大変な状況でした。
取説など相当整備はしたものの、引き継がれる後輩はかなりプレッシャーと思います。
与えられた訳でもなく自分で始めた業務がいつの間にか組織内の業務になり、打ち込んで早15年。
今や大きな組織の重要な業務の一部になっていて、業務に必要な環境やツール作成も殆ど手掛けて、私の想いがかなり色濃く残る業務と成っています。
これからもっと発展させて自分の色で染め直してもらうことが後輩への私の願いです。
きっと成し遂げてくれると信じてます。
10年以上掛けて作り上げて来た有って当たり前的な環境を引き継ぐ後輩は大変だと思います。
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でも、そんな訳で先日のブログに書いたように来週は1ヶ月以上前から1週間休暇を取ってサイクリングに行く予定になっていたのに、授賞式出席のため、お陰で出勤になってしまいました。
先日亡くなった事を知った中学から高校時代の親友の弔いに変わったサイクリングは後日にお預けとなってしまいました。
ごめんねごめんね~!
担当内のひとりが、ボッチャの社内大会にいつの間にか応募していて、強制参加を強いられた。
今日がその大会でした。
7人全員初めての経験でルールも知らずに昼休みに全員でルールの勉強をした程度の参加チームの優勝に場内騒然!
まあ、こんな事も人生にはあるわけですよ。
説明はつきません。有るのは結果だけ。
これが最後の決勝戦のタマ位置
ほんの5mm程度の差で赤(当チーム)の勝ち。
そもそも、決勝戦まで行ったこと自体が奇跡。
最後に応援に来られたボッチャ選手の蝦沢さんとツーショット
蝦沢さんは2020年のパラリンピックで、きっと活躍してくれる事でしょう。
頑張れ!
中でも、応募した本人(私じゃありません)が一番頑張ったので、選抜メンバーに選ばれました。
最後はスカイツリーの上の会場で頂上決戦になるそうです。
そりゃ大変なことになった!
山手線の田町、品川間に新駅が出来る話題は2年くらい前に聞いたことある方も多いと思いますが、このところ全くマスコミの話題に上がらなくなりました。
私のように、毎日そこを通る人は知っていてもそれ以外の人は状況を知る術はないと思います。
そそこで、ふと先月山手線の車窓から撮った写真をお見せします。
その映像がこれだ!
ワン・チュー・シュリー!
大分骨格が出来上がって来てますね。
順調な仕上がりなんじゃ無いでしょうか。
2020年のオリンピックには間に合いそうです。
さすがは日本ですね。
調べたら、前回の山手線内での新駅は1971年の西日暮里駅らしいですね。
完成を2020年とすれば49年振りと云うわけです。
私が中学生の頃です。
友人と秋葉原に遊びに行ったのが高校1年の時でしたからその時は既に西日暮里駅は有ったんですね。
世の中の歴史と自分の歴史を照らし合わせるのって、結構面白いですね。
知り合いから聞いた話では品川駅付近もかなり様変わりするとの情報で、線路を跨ぐ道が出来たり、プリンスホテル側にはデッキが出現するらしく、1F部分はバスターミナルの様になるみたいですね。
その頃には私はとっくに退職で通勤もしていないのでTV等で紹介されなければ知ることも無いでしょうね。
活動範囲をどんどん広げてきた人生が、一気に狭まるって凄くストレス貯まりそうです。
先日のブログで那須塩原駅前でのビアガーデンの記事書きましたが、その中で那須塩原ファンクラブの会員になった事も記載しました。
でも、翌日になってその事務局から会員カードを預かってると云うLINEが入って、確認したら確かに作ったばかりのカードが見あたりませんでした。
昨日、事務局の方が家まで届けてくれました。
申し訳ないです。ありがとうございます。
封筒の中には、パンフレットが入っていたので、ここで宣伝させて頂きます。
ファンクラブ会員になると、お得な事が有ったり、那須塩原をより深く知って楽しむためのイベントへの参加や、交流会を通じて多くの人と知り合ったり出来ます。
是非あなたもどうですか?
詳しくはこちらへ
http://www.yell-nasushiobara.com
それと、同時に「恋する なすしおばらマルシェ」の開催のお知らせです。
8月5日(日)には今年度2回目の那須塩原駅前でのビアガーデンがあります。
美味しくて楽しいビアガーデンに来て見ませんか。
16:00からです。 涼みに行こう!
こちらはfacebookで情報発信しています。
今日は25年ほど前に同じ開発プロジェクトで苦楽を共にした仲間との飲み会が有り、休みだと云うのに東京へ出向いた。
場所は東京駅八重洲北口の近くの居酒屋。
ナビを頼りに行ったが、現地に着くとお店が見当たらない。
進行方向右側に有るはずだが、目的の店名が無く、幹事に電話を入れて暫く話ししてると後ろから「スギちゃん」と肩を叩かれ、「こっちだよ!」
なんと、20年位前に早期退職した松山千春みたいな先輩が立っていた。
私も直ぐあの人だと分かった。
結局そのお店は道路の反対側でした。
豪華お食事と、全国有名日本酒飲み放題時間制限無しのお店でした。
最低8合は頂きました。
一応自分の安全圏を6合と定めていますが、この場は関係なし!
中学の同級会も楽しいけど、会社で同じ目標に向かって苦楽を共にした仲間はそれ以上に話題性には事足りないし、友情も強い。
仕事上の事件、事故、人事の話から今だから言える話題が盛り沢山で、いくら居ても時間が足りない状況。
あの時誰がどう考えどう想ったのか。
飛び出す話題に皆「そうだったのか~」の連発。
一つの開発プロジェクトを完遂するために皆誠いっぱいだった。
日本のインフラを支える重要なシステムの開発でしたから。
その中で培った友情が未だに続いていて、年齢問わず楽しい時間を過ごせる。
まだまだずっと飲んでいたい気分だが、飲み出して3時間を過ぎて幹事がお開きの指示。
やむなく終了。
毎回幹事を自主的にやっているOさん本当にありがとうございます。感謝感激です。
私は新幹線の中で、静かにブログ書いてます。
次回は何時になるか分からないけど、また絶対参加する。
今回肩を叩かれた先輩は本当に早期退職されてから初めての再開でしたが年賀状で写真見ていたので全く違和感なく会う事が出来た。
今では社内での年賀状含めたそれ系のやり取りを禁じられていますが、そうは云っても年賀状の果たす役割は大きく、会社側が禁ずる理由は理解できないでもないですが、自己判断が必要だと感じがします。
特に25年前の仲間はその後、分社化で皆それぞれ違う会社になって居るので今後のことを考えると親しい仲間とは誰が何と云おうと自己判断で年賀状のやり取りはやるべきだと思いました。
日本の文化だと思います。
でも、今回皆に云われたのは、私の頭が皆さんと比較して毛も有り黒いと言うこと。
カツラじゃ無いんですが・・・
確かに皆さん全員それなりの風貌になり、わたしだけ若そうな・・・
これでも随分減ったんですけどね。
気が若いんでしょうか?
あー今日も一日が過ぎて行く。
先程、東京駅の新幹線改札付近でロープが張られ物々しい警備がしかれていました。
直感で天皇陛下が植樹祭から帰って来るんだなと思った。
改札入るとまだロープ際が空いていたので先頭に立って待っていたが、どうやら18:36着の新幹線で来るらしい。
私が乗る新幹線は同時刻発車なので諦めてホームに上がりました。
今に思えば次の新幹線でも良かったかなと後悔した。
もう直ぐ世代交代されるしね。
でも、過去にも4回位同じ新幹線に乗り合わせて、1mの至近距離で手を振って戴いた事が有ります。
1mと言っても私は座席に座っていて天皇陛下が後から来られてグリーン車に向かうんですが、途中、腰をかがめながら窓越しに手を振り続けてグリーン車までホームを歩いて行かれるんですよ。
その時本当に偉い人と云うのはふんぞり返ったりしないものなんだなと思いました。
ティモさんに出会ったのは丁度2年前の2月。
井の頭公園脇の飲み屋さんで、私の脇に座って水を飲みながらジャポニカ学習帳に漢字の練習をしているドイツ人青年だった。
その後TV番組に出演するとの話でしたが、その時は見逃してしまったが、その時この人何者って感じだった。レコードDJも得意でコンサートを開いたりもしている。
今回は、夕方6時ごろLine通知が来てティモさんがまたTV番組(ホンマでっか!?TV)に外人評論家として出ると云うので昨夜はちゃんと見るつもりだった。
ところがだ、友人とLineのやり取りしていて9時からの番組だったが、10分位して気が付いてTV点けたらティモさんは何度か映ったもののしゃべらない。
とうとう50分番組は終わってしまった。
どうやら最初の10分の中でメインの出番が有った様だが既にその時は終わっていた。
2年前に出会った時はJAXAに仕事で来たと云っていたが、その後慶応大学の博士課程合格して入学された様だし、とても頑張っているようだ。
勉学から音楽、タレントと、なんでも軽々こなして人生を謳歌している彼をみているととても頼もしい。
大小の違いはあれど、昔の自分を思い出す。
焼鳥屋で会った時に航空機も好きで、何度でも回収して使用できるロケットの研究をしていると、とても楽しげに話をしてくれ、宇宙や星の話でもかなり盛り上がった。
また会って話をしてみたい好感のもてる外国青年です。
「謹賀新年」
昨年中はみなさんにお世話になり一年を過ごすことが出来ました。
ありがとうございました。
年末は、年越し直前まで遅れていたビデオ編集に追われ、娘夫婦の新居完成で引越しの手伝いやら大忙しで字の如く「忙」心を亡くしてとうとう年賀状を書きそびれてしまいました。
おそらく社会人になって以来、親兄弟の喪中以外で初めての年賀状書かずの年末となった。
「謹賀新年」や「恭賀新年」「迎春」「賀正」など、年賀状には何らかの文字を入れますが、調べると「謹賀新年」「恭賀新年」はとても丁寧な新年を祝う言葉で目上の方やそれ以外にも感謝すべき人に送る年賀状に書かれるべき言葉だそうで、「迎春」「賀正」などは、単に「新年あけましておめでとう」なのだそうだ。
なので、私はいつも「謹賀新年」と書く。
今年も元日には何時もの様に沢山の年賀状が届いた。
たった一枚の年賀状でも、何年も会っていない友人や知人の顔を思い出して記憶のリフレッシュができる。年賀状は元気で居ることの証であり、切れ掛かった糸がまた修復されるすばらしいアイテムだと思う。
それでも、過去数え切れない人との出会いがあり、今に至っているのに年賀状のやり取りはそのほんの僅かな縁ある人たちな訳で、自分の本来の想いからすれば、是が非でも年賀状は出すべきだったと後悔している。
ハイアマチュア的趣味のビデオ編集も既に19年も続けていて、それ以来大好きだったスキーも行かなくなり部屋ごもりの秋から冬を毎年続けていて、年末の忙しさは今更の話では無いが、やっぱり年をとって来て深夜の無理が利かなくなり二足のワラジ生活もかなり限界に近づいている。
それも、後一年と3ヶ月で会社を退職すれば一足のワラジになるので、さらにもう少し趣味のビデオ撮影・編集も続ける事が可能だと考えている。
勿論、本業が有っての趣味なわけで、本業は一切手を抜くことなく頑張り続けているし、ビデオも趣味と言いながら知らない人からは当たり前にビデオ屋さんと言われる状況な訳で、今が頑張りどころってわけだ。
年が明けても3月までスケジュールが詰まっているので、例年2月に行っていた日光二荒山神社にも今年は元日初詣に行き、すべての事を前倒しで進めることにしている。
昨日は、一日かけて親戚へのご年始回りをし、今日は既に1月3日になっている。
とにかく、自分の中では時間が過ぎるのが早い。
今朝は、昨夜から降り出した雪で一面真っ白になっていた。
でも、風も無く穏やかで日差しを受けていると、もう「春」そのものと感じたりもする。
良い正月を迎えられたと思う。
今年一年、また皆さんとこのブログで繋がって、お互いに良い年を過ごせることを願います。
今年もよろしくお願いします。
今朝起きて西の空を見たら大きなそして途切れの無い綺麗な虹が空高く輝いていた。
このブログ見た人も含め、きっと良いことあるね。
20分経った今もまだ健在
PS.
結局この虹は家を出て何時も乗る7:19の電車が発射するまで持続していたので1時間も輝いていた事になる。それも、アーチが途切れることなく。
驚異的な継続時間の虹だった。
こんなの生まれて初めて。