今日は寒い一日でしたが、市内の文化会館大ホールで行われた発表会をビデオ撮影してきました。
昨日もリハーサルがあり、2日間会社を休んでのボランティアです。
軽度の障害者の方々の発表会ですが、そこには毎年感動があります。 今回もビデオを撮影しながら2度涙をこらえながら撮影しました。
「かわいそう」とかそう言う事では無く、彼らの演技にはストレートに物事を表現する力があります。 その源は「素直さ」でしょうか?
健常者が健常者でない事が多い様に思います。 他人の目ばかり気にして何も表現できない健常者。 人を悪く言って自ら何も向上しないで自分が向上したかの様な錯覚を抱いて満足している人も多いように感じるこの頃です。
私は毎年この発表会の撮影をすることで、彼らに自分の心や考え方をリフレッシュして頂いているような気がします。 ただ明るければ良いんじゃ無く、ただ悲しそうにすれば良いんじゃ無く心がどうあるのかが見る人に感動を与えるのだと思います。
今回、事前に個人情報保護の観点から1名の方の顔をぼかせるかと事務局の方から確認の電話を頂きました。 技術的に出来ないことではないので「いいですよ」と答えたものの、私の中ではすごく複雑な想いでこの一週間いました。 何故かと言うと、その理由がはっきりしなかったからです。 子供が自分で撮られたくないと言ったのか親が一方的に撮られたくないと言っているのか気になりました。
私は、障害者=不幸とは思っていないので普通に会話もするし、特別な目で見たりしません。 困っていれば健常者でも障害者でも手を貸すし、普通に振る舞います。 健常者であっても、ビデオや写真に撮られたくない人はいます。 普通それは本人の意思によるものなので構いません。 でも、もし本人以外の方が「この子は撮さないで」と言うのであればそれは、ちょっと意味合いが違ってきます。
昨日のリハーサルの時に、おせっかいながら本人分だけはボカシ無しのDVDを作ってあげたいと考えていることを事務局の方に伝えました。 ところが「その件は大丈夫です」と言われました。 ホッとして理由を聞くと、昨今の個人情報保護の高まりがあり、学校としても親に対してビデオ撮影に対するアンケートを取ったそうです。 その中にビデオに映る事に対する可否の欄に丸が付いていたらしいのですが、その後その親に確認したら特に深い意味は無く、欄があったので丸を付けた程度だったらしく、これまでどおり普通に編集することになりました。
一生懸命練習を重ねて立派な発表をし、活き活きとしている子供達に自分の顔を撮されたくないなんて言う子は居ないと思います。 私の作るビデオはきっと各学校内で出場者みんなで見て、そこには笑顔が溢れているものと信じています。また、その様な場面を思い浮かべながら編集もしています。
来年またみんなの笑顔を見せてね。って心の中で言いながら撮影を終了しました。