全ての括り付け家具の扉は地震の際に扉がロックされるようになっています。
原因は、2Fの天井裏にアンテナのブースターがあって、そこに電力が供給されないので、電波がTVに来ないんです。
ただ、黒磯市内方面は停電しなかったので、北の方だけは明るかったです。
先日ニュージーランドで大きな地震がありましたが、私の記憶では3.11東日本大震災の前にもニュージーランドで大きな地震があったと記憶している。
今日は一日家に居たので、ふとググって見た。
「ニュージーランド地震」と「日本」で検索すると・・・・
やっぱりそうだったんだ。
「地震の法則」的な物があるらしい。
過去何度もニュージーランドで揺れると、2週間~2か月後に日本で大揺れしていた。
東日本も熊本も今回も・・・
過去の事実は嘘付けないからNHKなどでこんな情報流したらみんなその時期に警戒できるだろうに。
以前に放送された「MEGAQUAKE」等で取り上げても良い情報だったのではないか。
なぜこんな重要な事をもっと世に知らしめないのか?
まだ統計学的な位置付けでしかないとでも云うのだろうか。 地質学者はきっと外れた時の自分の信用失墜を恐れているのかも知れない。
一部の人達の噂話し的な話しでもなさそうだ。
公的な人たちは皆、遠巻に「地震に備えて防災訓練だ」と云って訓練にいそしんでいるが、もしかすると何らかの情報を得ているのか?
皆、心のどこかで第二第三の巨大地震が来る事を否定せず、近い内に来ると思っている。
今も、震度1位の揺れがあった。 今日一日家にいて自分で感じた揺れは15回くらいあったと思う。 3.11直後を思い出す。
地震だけでは無く、火山の噴火も「世界的な統計データで、M9以上の地震後に火山が噴火しなかった事が無い」と云うものも、震災2,3年間はTVでも何度か耳にしたが、最近はあまり話題にならないけど・・・・
数行書いている内にまた大きな揺れが来ましたね。
怖いですね。
先程の地震、3.11が静まってから関東では久々のドキッとするような揺れでした。
P波が長かったですね。
建物はP波ではあまり壊れないと聞きます。
倒壊家屋の殆どは建物の構造上、S波に依る物らしいですが、わたし的にはやっぱり縦にドスドス揺れるのは体感的に好きじゃないですね。
P波が強いと言う事は震源地が近い事を意味しますからね。
でも、先日のブログで中央構造線に触れましたが、埼玉と千葉の境あたりの何時もの群発地震は、良く見ると中央構造線の最東端になるんですね。
中央構造線の西端と東端で大地のズレが生じたとすると、ちょっと嫌な感じがします。
気を付けようにも、日本人はその上で暮らしているのでどうにもなりませんね。
せめて、命だけは守る心構えだけは忘れずに、防災準備等をしておきたいものです。
今朝のNHKの日曜討論を見ていたら、ゲストの人が今回の九州の断層のズレは東に延びる可能性もあると云った発言をされていた。
ふと、中学の時に習った「中央構造線」を思い出した。
衛星写真とか上空から見ると四国の中央に東西にハッキリとした線が見えるあれです。
早速ググってみたら、正しく今回の断層は中央構造線の一番西側に位置しています。
情報を探していたところ、「つちもち学級」というHPに以下の様な説明書きがあり、中央構造線等の説明が分かりやすく書いてありますので、興味のある方はここをクリックしてご覧頂き、復習してください。
今回の熊本から始まって大分までズレた断層は中央構造線全体の約1/6
もの距離になります。
このズレの力が、今後東に向かって影響を与えて行くとすると、大変な事になりますね。
どうかここで収まって欲しい物です。
今回の熊本地震は活断層が動いた事による地震ですが、以前のブログでも書いた様に私の家の近くにも「関谷断層」と言う山沿いに沿った大きな断層があります。
この断層は、南北38kmもの大きな断層です。
3.11で日本列島の地殻が全体的に東に大きく緩んだと言う事は多くのTV報道で多くの人は知っていると思いますが、南北に走っている断層ですからその亀裂を引き伸ばされて緩くなった事になります。
つまり、素人目には3.11の影響で動きやすくなっているとも思える訳です。
何時もロードバイクでヒルクライムして来る場所の麓が正しくその断層が走っている場所になっていて、そこに行く度にこの段差がきっと大昔ズレた痕跡なんだろうなと思いながら走っています。
ただ、冒頭の文章内でリンクした専門機関の調査結果では将来300年間にこの断層が動く確率は極めて小さいと言っていますが、3.11による地殻が東西に緩んだ状態を加味しているのかは不明です。
熊本の地震の活断層は、前回1889年(126年前)に動いているようですが、関谷断層も300年以上前に動いた以降静かにしている様です。
動けばM7.5クラスで震度6弱と推測している様ですが、私の家は直線で10kmですから震度的には5位になるのかなと考えています。
不安をあおるつもりはありませんが、そのような知識を事前に持つことが、今後の防災に役立つと考えています。
仕事で東京に居れば立川断層が気になるし、家に帰れば関谷断層が気になる。 たとえそんな局所的な物が近くに無くても南海トラフ的な大規模な要因もあり、結局至るところ地震の種はあると言う事です。
日本は何処に居ても地震とは無関係ではいられない訳ですね。
心して過ごして行きましょう。
4月14日から始まった熊本地震。収束するどころか益々大きな地震に繋がっています。
現地の方々や、関連の方々には心よりお見舞い申し上げます。
私も3.11では、家も被害に遭い今でもあの時の光景を思い出し今後の不安を感じる事もあります。
単身で来ている会社の友人の奥さんが熊本市南区に住んでおり、昨日飛行機で帰りました。
誰も、直ぐにおさまって行くだろうと思っていただけに、今朝起きてスマホに表示されたYahooニュースの地震速報のポップアップが消しても消しても表示されるので、スマホがおかしくなったのかと思ったら、表示される時間が違っている事に気が付いてこれほどまで多くの回数の大きな地震が起きた事にやっと気が付きました。
TVのニュースを見ていたら、南区等も大きな揺れを観測している事を知り、熊本に帰った友人の事がとても心配になりダメもとでメールしてみました。
意外にも、メールはすんなり届いて返事が来ました。
奥さん共々怪我も無く昨夜は車の中で夜を明かしたとの事。
そもそも、家に辿り着けたのかも心配でしたが、なんとか大丈夫だったみたいで安心しました。
私も3.11を思い出します。
でも、これらの人の力が及ばぬ自然災害を目前にした時、暫らくはその事をテレビでも見ているかのように平然としていられるのですが、家が被害にあったりしていると日を追う毎にそれが実感として心の奥底にじわじわと不安として浸透していきます。
友人の身の回りの被害については良く分かりませんが、これからも何かと大変な想いをすると思いますが、無理せず前に向かって進んで行ってもらえる事を願っています。
今日は良い天気だと週間天気で分かっていたので、ロードバイクで走って来ようと計画してましたがそんな気分にはなれず、家でビデオ編集の仕上げに入っています。
いつまた関東でも地震が起きるか分かりませんからね。
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先月、放射能除染を行うための家の周りの放射能の測定がありましたが、その結果報告がありました。<o:p></o:p>
結論から言うと、私の家は除染対象外と言う事になりました。 以前のブログで紹介したように、自分で測定しても家周辺は0.14μs/hでしたが、公式測定結果も0.12μs/hと言う事で、説明に来られた方から除染の必要が無いと言われました。<o:p></o:p>
でも、奥の庭木がある辺りは線量高いんですが、家屋から10m以内でないと除染対象外だそうです。<o:p></o:p>
取りあえずは日常生活には支障はなさそうです。<o:p></o:p>
今週は、月曜日に急性胃腸炎になり、一晩で治ったものの水曜日までヨーグルトだけで暮らしていましたがそんな時に限って会社の仕事が忙しくなり、火曜から木曜まで帰宅が日付の変わる頃だったのでブログはちょっと手つかずでした。 土曜の夜に食べた牛のたたきが原因か?日曜の朝から不調でした。
前置きはこんなところで。
会社の組合で先週、ガイガーカウンタを買ってそれを貸し出しているとの情報があり、早速借りてきました。
丁度1年前にも市役所で貸し出していた装置を借りて、古い家の時に測定しています。新しい家を建てる場所は畑で、腰の高さで0.4μSVありましたが、汚染されていない土砂を30cm程度盛ったので0.1μSV程度になっていたのは確認できていました。
しかし、新築後確認していなかったので絶好の測定チャンスでした。
●新築家屋周囲: 約0.14μSV(地面付近も同じ)
●旧家屋前の芝生:約0.37μSV(地面付近0.53μSV)
●枯葉、庭木選定ごみ置き場:約0.7μSV(地面付近1.1μSV)
新築家屋周囲は、地面との高さに関係なくほぼ0.15μSVでしたから地面から放射線が出ていると言うよりこの地域全体的な放射線量なんだと思います。
ただ、前から有った芝生や剪定した庭木の集積場のところは地面に近づけると、芝生部分で0.53μSV、集積場で1.1μSVになり、明らかに放射性物質がそこにある事がわかります。
↓ ごみ集積場地面付近
一年前の時と比べると芝生付近は殆ど変っていません。 一番高かった旧家屋の雨どいの水が落ちる場所で2μSVあったところは現在新しい土砂が50cm位盛った部分になるので、0.15μSVであり、全く影響は出ていません。
この付近の原発事故以前の線量は0.03μSVでしたから5倍程度はあるということです。
最後に家の中は、0.09μSVでしたが、都内の会社のオフィスではこの線量計で同じく測って0.07μSVでしたので、ほとんど同じです。 線量計の誤差などもありますから、違う線量計との数値だけの比較より同じ機器でのこのような比較の方が正確な状況が把握できます。
↓ 室内:0.09μSV
このブログを書き終えて、3.11当時の自分が書いたブログを読み返してしまいました。
不安と怒り、そしてそれに立ち向かいながらその先の未来を模索している自分の姿が思い出され、涙が出て来てしまいました。 今の幸せは、その時真剣に取り組んだ成果としてあるものだと確信しました。
また結構な揺れの地震でしたね。
東京のオフィスで、あの時を思わせる様な揺れにドキッとしました。すぐにワンセグでNHKを見ましたが東北の海の中を震源としているのは分かったのですが、津波情報ばかりで震度の表記がなかなか出なかったので家の事が心配でした。
しばらく経って各地の震度が出ましたが、東北も関東もどこもほとんど震度4だったんですね。ホッとしましたが、また規模が小さくても津波が来たら海岸寄りの方々はまた大変だろうなぁって考えながら仕事をしていたら、もう時期帰る時間・・・・・新幹線止まってんだろうなぁ~ やっぱり。
今日は一日研修で席を開けていたので、仕事がたまっていたこともあり残業をしたので帰るころには新幹線も動き出していました。
東京駅に8時30分頃着きましたがまだまだダイヤは大幅に乱れ、多くの方々が駅員に話しかけていました。 私の場合、那須塩原駅に止まる列車ならどれでも良くて、発車が一番早い新幹線を見つけて乗りましたが、発車したのは結局9時頃になりました。
おかげで夕食はおにぎり1個を新幹線の中で食べて終わりです。 なんかもう寝る前に腹へった。 朝が待ちどうしい。
今日のNHKの特番。 恐ろしい限りです。
ここまで科学的根拠と過去の歴史を突きつけられると、恐らく来そうだと思いつつも心のどこかで「来ないさ」と逃避していたものが、逃避できなくなりました。
東京で働く者として「生死」と「帰宅困難」の2つの心配に直面するわけで、どのように行動すべきか真に考えなければならない状況なのかも知れません。 その事から逃げている場合じゃないな。
taniさん。 富士山の近くですが、その時には上手く避難してくださいね。
今日は、なぜか私の家に多くの人が集まりました。
工事の方々含めると朝から15人も次々と訪れました。不思議なもんですねこんな日にこんなに人が来るなんて。あの時の辛さを忘れさせてくれていたように思います。
夜になり、当時の携帯メールを読み直してみました。
1年前。私は東京の会社の19Fで大きな揺れを体験し、15時ごろにやっと家族に携帯メールで連絡が付き、安堵の想いにほっとしていましたが、TVに映し出される映像に日本の将来はどうなるんだろうと不安な一夜を過ごしました。
翌日には偶然にもレンタカーが確保でき、会社の友人と長い長~い帰路につき、11時間かけて20時にやっと自宅付近のレンタカーへ着きました。 いくら無事だと分かっていても家族の顔を見るまでは不安な気持ちでいましたが、家に着いて本当に良かったと思いました。
家の外観は暗くて分かりませんでしたが、家の中はある程度片付いてはいたもののその惨状は簡単に想像が付きました。 前夜は家の中を歩くことができない状態だったので車の中で寝たそうですが、その時高校2年だった息子が私に代わって妻と娘を守ってくれていたと言う話を聞き本当に良くやったと思いましたが、その時に震災前の年の8月くらいから「高校卒業したら自衛隊に入りたい」と言っていたのを思い出し、本当にその素質があるんじゃないかって思いました。
今年、高校を卒業する息子は自衛隊への入隊に合格し、4月からはこの家から離れて行きます。 必然でしょうか。
今年は6倍とも言われた入隊希望者の中から合格。 広報官の方の話しでは今年は例年より枠が少ないのに応募者数が多かったので合格には大変な年だったと言ってました。 県北で入隊できたのは4名ですから息子が合格したのは奇跡ではないかと思います。
やはり、思いつきでなく心から入隊して役に立ちたいと思う気持ちが合格に繋がったのだと思います。 TVでも自衛隊の震災時の活躍についてこのところ何度も放映していますが、息子も入隊して辛い訓練に耐えて先輩の隊員と共に多くの人の役に立つ事を祈りつつ「頑張れ!」 と言いました。 あと3週間で入隊。
最近気が付いたのですが、車で道路を走っていると、バタン・バタン・・・バタンバタンと一定間隔でタイヤの音がします。 良く見ると道路には横方向にほぼ等間隔で亀裂が入っています。 更に観察を続けると、どの道路にもある訳ではなく、南北または、北東方向に走る道路に限ってそのような状態になっています。
そうなんですね。 3月のブログでも紹介した私の家の近くの道路の亀裂と同じで、地震の時に地表で起きた北東方向への地面の伸縮で、アスファルトが延び縮みを受けて裂けてしまったんですね。 何処でもほぼ5m~8m間隔でしょうか。 もしかするとその長さが地震の波長になるのでしょうか? 国道4号線なども西那須から矢板市にかけてず~とその状況が続きます。 こんな身近な場所で、地震の爪痕が確認できるんですね。 私の家の屋根を見ても確認できますが・・・
今日は会社を休んで、お役所めぐりをしてきました。
朝8:30に家を出て帰ってきたのが5時。
震災の被害で、四苦八苦している事は既に書きましたが、税金の還付やら代替地購入、家屋の建て替えにかかる登録免許税の免除、取得税の控除、土地分筆に関わる確認、利子補給確認、諸々の手続きに一日中走り回って来ました。
税務署→法務局→県税事務所→法務局→郵便局→住宅メーカ→税務署→市役所 と、8時間半掛けて巡って来ました。 頭も体も疲れた疲れた。 縦割り行政のおかげで、建物の場所も離れているし、連続した話なのに、「私のところはここまで、後はxxの方の管轄なので分かりません」と言われ、何度も何度も同じ説明を各所でしなければいけないし・・・・
仕事は縦割りでもショッピングモールみたいに一か所に集まった場所があれば良いのにと思いました。
今日一日で、ガソリンのメータが1/4減りました。
おかげさまで、ほとんどの確認事項と事務処理が済んだ事は自分に「あっぱれ!」と言いたいですね。
この一日で ん十万円 を稼いだと同じな訳ですから。
でも良く考えると、私のようにネットなどで自ら十分に情報を収集してこのような還付金や免税などを受けられる人は良いですが、知らずに何もできない人もかなりいるのではないでしょうか。
もう震災から半年以上も経っているのに、今日対応された職員さんもあまり震災に関するその手の手続きについて詳しくなく、私の方から解説する場面も何度かありました。 聞くと、「あなたが初めてです」などと言った言葉まで出てくる状況に、驚きました。 周辺にも多くの被災者がいるのに、私が初めて? イコール 多くの人が知らずにいるのか、のんびり屋なのかのどちらかなんだろうけど、もう10月。アッと言う間に師走を迎えてしまいます。
被災者の方は、情報収集に対してもっと自分で動くべきだと思います。 TVを見ても、まだまだ被害者意識ばかりで、他人まかせの人も結構いますよね。 手を差し伸べる側も、相手が手を出してくれないとどうにもしようがない事も多いはず。 私以上に大変な人はたくさんいるので、もっと自ら行動を起こしてほしいな・・・・ と感じた一日でした。
でも、それ以上に縦割り行政を超えた被災者向けの総合パンフレット見たいのが欲しいですね。 それ一冊あれば、どんな「人(対象者)」がどんな「書類」を「何処」に「何時まで」に出せば「どうなる」のかが分かれば、もっと多くの人が助かるのではないかとおもいます 。
今年、3月11日の震災後3月13日のブログに投稿した家の屋根の被害状況写真を見られた「㈱コンシャス」の方が良い写真なのでチラシに使わせてほしいとメールで依頼がありました。 何度かメールでやり取り後に写真の使用承諾をしました。 なんでも、屋根瓦を新しい工法で葺く技術があり、地震でも落ちない瓦屋根にできるらしく普及に力を入れているとの事。 昨日、そのチラシが出来たとのメールが入りました。
残念ながら、瓦の修理をできないまま家を取り壊す事になったので、こちらの会社の工法を直接見ることは出来ませんでしたが、私の家もこんな形で貢献出来た事が何か嬉しいような悲しいような・・・
良い出来のチラシに、家さんも住む人を守る役目を果たせた満足感を感じている事でしょう。 でも、あと数か月頑張って頂きましょう。
先日のブログに台風の被害状況を書きましたが、今日やっと補修ができました。
土嚢は2ヶ月持ちませんね。 災害時に使って、そのままにしても直ぐに土に帰る様、わざと紫外線に弱くできているんだと思います。
前回、屋根の上で、ほとんどが破れて砂が出てしまい大変な苦労をしたので、袋を二重にしておきましたが、やっぱり正解でした。 外側の袋はボロボロになりましたが、中のもう一枚がぎりぎりセーフで、砂がなんとかこぼれず新しい袋に移す事ができました。
でも、両手で静かに持ち上げないと破れてしまうので、連休で帰って来ている長男に手伝いを頼んだので、スムースに35袋の入れ替えを終了しました。 やっぱりこの手の作業は2人だと1人の時の3倍早く終わりますね。
これで、暫くは安心できそうです。
そういえば、7月18日のブログの芝生の火傷の件、2ヶ月でここまで復活しました。
長男も、あの一件で考えを改めてくれた様です。 午後にでもやろうとしていたシソの実の収穫まで私の留守中に、やってくれていました。久しぶりに長男に「ありがとう」って心から言えたような気がします。 やっぱり家族とて、言うべき事は言わないと分かり合えないですよね。 特に家庭内では甘えが加わりますから社会以上に崩れだすと厄介ですから・・。