仕事柄ジャケットは必需品である。
黒が好きなので、どうしても黒・グレー系の物を選んでしまうが、営業上あまり暗い色の服は着ないよう言われている。
特にHP用の写真を撮る時は「明るい色のを!」というお達しがくる。
実際、5月、大阪が一番過ごしやすいさわやかな季節になってみると、グレーのジャケットでも重い気が、確かにする。
よってベルメゾンで(安上がり…)白のジャケットをオーダー
その直後、マイピクチャの整理をしていて気づいた。
若い頃の母が着ていたこのジャケット、今よくあるデザインである。コンパクトでウエストが絞られていて
これはおそらく50年位前の写真である。他の写真も見てみると、ふわっと広がった膝丈のスカートも今よく見かけるのと同じような形。
流行は繰り返すというけれど、まさにそれであろう。
ただ違うのは、母は自分で服を縫っていた、という点。
母の世代には昔洋裁学校に通っていて、縫い物が出来る人が多い。私も随分色々な服を母に作ってもらったものだ
このジャケットも、おそらく母が自分で縫ったに違いない。
母は8人きょうだいの一人である。
裕福でもなく、大学に行けた訳もない。高等教育の代わりに洋裁学校、というのがその頃は普通だったようだ。
母に言わせると、「行ける家だったとしても勉強は嫌いだったし」と笑っていたが。
それでも、私が大学時代テキストを広げていたとき、「いいね、あんたはそんなのが読めて…」と言っていたことがあった。
私が「?」と言う顔をしていると、
「お母さんだって、生まれ変わったら英語をすらすら読めるようになるんだからね!」と言って部屋を出て行った。
なぜかとても良く覚えている出来事である。
私は大学に行かせてもらい、こうして英語も勉強しているけれど、母の若い頃には望むべくもなかった事なんだ、という申し訳なさを感じたから、だろうが、その頃は「そんなん言われても…」(←あっ何となく関西弁??)というのが本音だったかもしれない。
その時の母は今の私より、3歳ばかり上だったはず。
自分も昔の母に近い年になってみて、母がどんな風な感じ方をしていたのか、ということが実感としてわかる事もある。
40も半ばになってみると、体力も気力も落ちてきて色々と「出来ないことが増えてくるんだな」とどこか寂しく感じる。
母もそんな風に感じていたのではないだろうか。
この写真は、私の大学時代と同じ位の年齢のはず、その頃には、母も20年後に自分がどんな事を思うか、などとは想像さえしなかっただろう。
新しいジャケットを縫って、ぴったり体に合った出来栄えに満足し、スカートやパンツとのコーディネートを考え…というところだったに違いない。
きれいな明るい笑顔で、私の好きな写真の一つである。
生まれ変わってきていたとしたら4歳、どこかの「英会話の○ー○○」でキッズクラスにいるかもしれない
黒が好きなので、どうしても黒・グレー系の物を選んでしまうが、営業上あまり暗い色の服は着ないよう言われている。
特にHP用の写真を撮る時は「明るい色のを!」というお達しがくる。
実際、5月、大阪が一番過ごしやすいさわやかな季節になってみると、グレーのジャケットでも重い気が、確かにする。
よってベルメゾンで(安上がり…)白のジャケットをオーダー
その直後、マイピクチャの整理をしていて気づいた。
若い頃の母が着ていたこのジャケット、今よくあるデザインである。コンパクトでウエストが絞られていて
これはおそらく50年位前の写真である。他の写真も見てみると、ふわっと広がった膝丈のスカートも今よく見かけるのと同じような形。
流行は繰り返すというけれど、まさにそれであろう。
ただ違うのは、母は自分で服を縫っていた、という点。
母の世代には昔洋裁学校に通っていて、縫い物が出来る人が多い。私も随分色々な服を母に作ってもらったものだ
このジャケットも、おそらく母が自分で縫ったに違いない。
母は8人きょうだいの一人である。
裕福でもなく、大学に行けた訳もない。高等教育の代わりに洋裁学校、というのがその頃は普通だったようだ。
母に言わせると、「行ける家だったとしても勉強は嫌いだったし」と笑っていたが。
それでも、私が大学時代テキストを広げていたとき、「いいね、あんたはそんなのが読めて…」と言っていたことがあった。
私が「?」と言う顔をしていると、
「お母さんだって、生まれ変わったら英語をすらすら読めるようになるんだからね!」と言って部屋を出て行った。
なぜかとても良く覚えている出来事である。
私は大学に行かせてもらい、こうして英語も勉強しているけれど、母の若い頃には望むべくもなかった事なんだ、という申し訳なさを感じたから、だろうが、その頃は「そんなん言われても…」(←あっ何となく関西弁??)というのが本音だったかもしれない。
その時の母は今の私より、3歳ばかり上だったはず。
自分も昔の母に近い年になってみて、母がどんな風な感じ方をしていたのか、ということが実感としてわかる事もある。
40も半ばになってみると、体力も気力も落ちてきて色々と「出来ないことが増えてくるんだな」とどこか寂しく感じる。
母もそんな風に感じていたのではないだろうか。
この写真は、私の大学時代と同じ位の年齢のはず、その頃には、母も20年後に自分がどんな事を思うか、などとは想像さえしなかっただろう。
新しいジャケットを縫って、ぴったり体に合った出来栄えに満足し、スカートやパンツとのコーディネートを考え…というところだったに違いない。
きれいな明るい笑顔で、私の好きな写真の一つである。
生まれ変わってきていたとしたら4歳、どこかの「英会話の○ー○○」でキッズクラスにいるかもしれない