母はこの日記をいつ書いたのか?
平成14年12月31日と書かれているが、内容には「平成15年になった」とある。紅白が終わって日付が変わってから、眼が覚めてすぐ書いたものであろうか。
まだ初日が昇っていないうちに書いたので、1月1日と書かなかったのか。
この次のページに元旦の記録が書かれている事を見ても、暗いうちなら31日、と考えたというのはありそうだ。
おそらく投薬のせいだろう、一晩に何度もトイレに行って疲れて、ということだが、病人にはトイレ行きも重労働である。31日はぼーっとして過ごしただろう。
母はC型肝炎治療のため、ちょうど年末年始をはさんで札幌に入院していた。
正月の為に料理をしておくこともなく、年越しの準備を整えることもせずに病院で暮れを迎え、いつの間にか新しい年を迎えていた、という驚きが感じられる一節である。
主婦であった母には不思議な感覚であったかも知れない。
ひとりで病院で年越し、と言うことへの寂しさより、「いつの間に!?」とびっくりしている様子の方が強く感じられる。
夜中に目覚めて、ベッド脇のスタンドを点け、老眼鏡をかけてペンを執る母の様子が目に浮かぶようである。
平成14年12月31日と書かれているが、内容には「平成15年になった」とある。紅白が終わって日付が変わってから、眼が覚めてすぐ書いたものであろうか。
まだ初日が昇っていないうちに書いたので、1月1日と書かなかったのか。
この次のページに元旦の記録が書かれている事を見ても、暗いうちなら31日、と考えたというのはありそうだ。
おそらく投薬のせいだろう、一晩に何度もトイレに行って疲れて、ということだが、病人にはトイレ行きも重労働である。31日はぼーっとして過ごしただろう。
母はC型肝炎治療のため、ちょうど年末年始をはさんで札幌に入院していた。
正月の為に料理をしておくこともなく、年越しの準備を整えることもせずに病院で暮れを迎え、いつの間にか新しい年を迎えていた、という驚きが感じられる一節である。
主婦であった母には不思議な感覚であったかも知れない。
ひとりで病院で年越し、と言うことへの寂しさより、「いつの間に!?」とびっくりしている様子の方が強く感じられる。
夜中に目覚めて、ベッド脇のスタンドを点け、老眼鏡をかけてペンを執る母の様子が目に浮かぶようである。