今年は梅も桜も開花が遅かったようだ。
15年ほど前なら、3月末に花見に行っていたはず、今年は4月始めに関西で見どころになっているところは大阪と和歌山あたりで、奈良京都はまだまだという所だった。
4月半ばの月曜日、公休の日に、以前から行きたいと思っていた京都西ノ京、勝持寺を訪れることにした。
話は飛ぶけれども去年今年と、続けて珍しくNHKの大河ドラマを見ている。大昔に「おんな太閤記」を見たのが最後ではないだろうか。しかも去年も今年も視聴率が悪いそうだから、どうも私は流行りに乗れないらしい。「篤姫」とか「竜馬伝」は見る気になれなかったのだから。
去年は「江」、ドラマの原作ではないが、永井路子作の「乱紋」がお気に入りの歴史小説だったからだ。この本も江が主人公だが、ドラマとは全くキャラが違う。それでも起こる出来事は同じだから、見ていて面白かったものだ。正直主人公より周りの人物のほうがよく描かれている感じだったけれど。
そういえば、「おんな太閤記」は永井路子原作のこの時代のものだ。私はこの時代…戦国時代、安土桃山時代あたりが結構好きなのである。
今年は「平清盛」、これは大河ドラマになるとは全く知らなかった去年、宮本登美子の「平家物語」を読んだからだ。これもドラマの原作ではないし、平家物語だから清盛の死んだ後も続くけれど。
ドラマではイケメンの北面の武士、佐藤義清(西行法師)を藤木直人が演じているが、その佐藤義清が出家したと言われるお寺がこの、勝持寺だ。
なにとなく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山
吉野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな
よっぽど桜が好きな人だったんだろう。大河ドラマでは、美意識のみで生きているようなちょっと嫌味なくらいの人に描かれているが、私はこの人の歌が好きだ。
一首目など、日本人の3月あたりの気持ちを代弁していると今でも言えるのでは?
なぜ出家したかの説は色々あるそうだが、ドラマはどちらかと言えば「失恋説」を採っているようだ。
さて、暖かい春日、JRとバスを乗り継いで西ノ京へ。
こちらにはそれほど有名どころがそろっていない。少し北へ行くと松尾大社や苔寺などがあるが、このあたりはいっぺんに回れるような立地条件ではない。
なので月曜日でもあることだし、それほど人出は多くないはず、と思っていたが、やはり桜の季節だけのことはある。バスは満員になった。
バス停はのどかな、郊外の畑のそば。ここからまた結構歩くのだ。2キロ近くは登ったはず。途中に大原野神社があるので、そこの境内のお休みどころで草餅を頂いてから、境内奥にある細道を通って勝持寺まで行くことにする。全くの山の中だ。
さらに石段を上り、一息ついたと思ったら今度はお寺の石段、やっと登りきったところに「花の寺」と称される勝持寺が現れる。境内には見事な桜が花盛り、400本以上の桜が植えられているそうだ。これは「西行桜」と言われる、西行が植えたといういわれのしだれ桜だが、これは少し遅かったようで葉桜になりかかっていた。
これは西行がこの石を鏡代わりに使った、という石だが、いくらなんでも無理でしょ…確かに平らな面があるけれど、別に鏡のように映るほどではないのだ。
そばには池があって、去年のもみじがたくさん沈んでいるのが見え、そこに今年の桜の花びらが浮いて良い風情。
風雅な建物があり、おりしも風のある日で花びらが舞い、美しい庭園だった。花そのものもよいが、散る花びら、意外な場所にとどまっている花びらも素晴らしく、桜は本当に最後まで楽しませてくれるものだ。
咲いて間もなく散る花びらに無常を感じると言う向きもあるだろうが、最後の最後まで見どころを持っている桜って、いろいろ楽しみ方があっていいな、と私はどちらかと言えばポジティブに見てしまうほうだ。
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ
と歌ってその通り、桜の季節に亡くなった、という西行法師もポジティブ系の見方をしているように思うのだが…。
デジブック 『花びら花の寺・勝持寺』
15年ほど前なら、3月末に花見に行っていたはず、今年は4月始めに関西で見どころになっているところは大阪と和歌山あたりで、奈良京都はまだまだという所だった。
4月半ばの月曜日、公休の日に、以前から行きたいと思っていた京都西ノ京、勝持寺を訪れることにした。
話は飛ぶけれども去年今年と、続けて珍しくNHKの大河ドラマを見ている。大昔に「おんな太閤記」を見たのが最後ではないだろうか。しかも去年も今年も視聴率が悪いそうだから、どうも私は流行りに乗れないらしい。「篤姫」とか「竜馬伝」は見る気になれなかったのだから。
去年は「江」、ドラマの原作ではないが、永井路子作の「乱紋」がお気に入りの歴史小説だったからだ。この本も江が主人公だが、ドラマとは全くキャラが違う。それでも起こる出来事は同じだから、見ていて面白かったものだ。正直主人公より周りの人物のほうがよく描かれている感じだったけれど。
そういえば、「おんな太閤記」は永井路子原作のこの時代のものだ。私はこの時代…戦国時代、安土桃山時代あたりが結構好きなのである。
今年は「平清盛」、これは大河ドラマになるとは全く知らなかった去年、宮本登美子の「平家物語」を読んだからだ。これもドラマの原作ではないし、平家物語だから清盛の死んだ後も続くけれど。
ドラマではイケメンの北面の武士、佐藤義清(西行法師)を藤木直人が演じているが、その佐藤義清が出家したと言われるお寺がこの、勝持寺だ。
なにとなく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山
吉野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな
よっぽど桜が好きな人だったんだろう。大河ドラマでは、美意識のみで生きているようなちょっと嫌味なくらいの人に描かれているが、私はこの人の歌が好きだ。
一首目など、日本人の3月あたりの気持ちを代弁していると今でも言えるのでは?
なぜ出家したかの説は色々あるそうだが、ドラマはどちらかと言えば「失恋説」を採っているようだ。
さて、暖かい春日、JRとバスを乗り継いで西ノ京へ。
こちらにはそれほど有名どころがそろっていない。少し北へ行くと松尾大社や苔寺などがあるが、このあたりはいっぺんに回れるような立地条件ではない。
なので月曜日でもあることだし、それほど人出は多くないはず、と思っていたが、やはり桜の季節だけのことはある。バスは満員になった。
バス停はのどかな、郊外の畑のそば。ここからまた結構歩くのだ。2キロ近くは登ったはず。途中に大原野神社があるので、そこの境内のお休みどころで草餅を頂いてから、境内奥にある細道を通って勝持寺まで行くことにする。全くの山の中だ。
さらに石段を上り、一息ついたと思ったら今度はお寺の石段、やっと登りきったところに「花の寺」と称される勝持寺が現れる。境内には見事な桜が花盛り、400本以上の桜が植えられているそうだ。これは「西行桜」と言われる、西行が植えたといういわれのしだれ桜だが、これは少し遅かったようで葉桜になりかかっていた。
これは西行がこの石を鏡代わりに使った、という石だが、いくらなんでも無理でしょ…確かに平らな面があるけれど、別に鏡のように映るほどではないのだ。
そばには池があって、去年のもみじがたくさん沈んでいるのが見え、そこに今年の桜の花びらが浮いて良い風情。
風雅な建物があり、おりしも風のある日で花びらが舞い、美しい庭園だった。花そのものもよいが、散る花びら、意外な場所にとどまっている花びらも素晴らしく、桜は本当に最後まで楽しませてくれるものだ。
咲いて間もなく散る花びらに無常を感じると言う向きもあるだろうが、最後の最後まで見どころを持っている桜って、いろいろ楽しみ方があっていいな、と私はどちらかと言えばポジティブに見てしまうほうだ。
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ
と歌ってその通り、桜の季節に亡くなった、という西行法師もポジティブ系の見方をしているように思うのだが…。
デジブック 『花びら花の寺・勝持寺』
デジブック見て頂きありがとうございます。花は終わりかけのものが多かったので、いっそ花びらをメインに持ってこようということにしました。
デジブック優しく綺麗にまとめていますね、
最初の花びらがとても効果的でした。