上高地の続き
4月27日の開山祭の時はここから見える雪形は直前の降雪でほとんど隠されてしまっていた。
あれから2週間、標高1500mの平らの雪は北側の窪地だけになっていた。
梓川のバスターミナルから河原に出て撮った。手前の宿は西糸屋
今日も思いの他、雪が多い。
槍ケ岳グループのブログを拝見したところ、前日の雨は高所では雪になっていたと。
雪形① 白型(ポジ型)「志」の文字
奥穂高岳寄りの吊り尾根直下
発見者は不明。元岳沢ヒュッテオーナー上條岳人さんがにより伝承されていた。
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私には何とか読めたが、同行者は判らいねえ・・
雪形② 上條嘉門次とW・ウエストン;奥穂高岳下に現れる。これも今ははっきりしなかった。
これが現れるのは5月下旬なので、今年はもう少し待たなければならない。
雪形③ 「神河内美穂さん」
この名前の由来を「タウン情報」で探した。それは記者であった丸山祥司氏という。
「1983年5月、記者が発見し、命名。名字の神河内は、上高地の昔の呼び名。
美しい穂高岳に現れる女性の顔なので美穂と命名してみた。この雪形が整うと小梨の花が満開になり、林床にはニリンソウが白いじゅうたんのように咲き誇る・・後略
畳岩の頭付近に現れる白型の雪形は見やすい。今回も大正池で、梓川河畔で、岳沢湿原でと何枚もとってしまった。
まだ雪が張り付いて、かわいい瞳も髪型も出ていなかったが、美穂さんがここにいることは確かめられた。
また、逢いに来てねと言われているみたい・・
雪形④ 「紀美子さんの顔」
重太郎新道の「紀美子平」近くに現れるこの雪形。
信濃毎日新聞が発行している「タウン情報」(丸山祥司)によると
・・穂高山荘から奥穂高岳、吊り尾根、前穂高岳(紀美子平)を経由し、岳沢、上高地を結ぶ縦走路を「重太郎新道」と呼ぶ。初代穂高岳山荘オーナーの今田重太郎さんが開いた縦走路だ。その縦走路の前穂高岳直下に「紀美子平(2910m)」という女性の名前がついた分岐点がある。重太郎さんはこのわずかな平らにテントを張り、幼かった
姪で養女の今田紀美子さん(1747‐1970)を寝かせたり遊ばせながら安全な登山道建設に取り組み、1951年に完成している。だが、紀美子さんは23歳の若さで他界した。中略
(丸山氏が)上高地の雪形撮影で訪れた83年5月下旬、劇的な感動の時が訪れた。大正池右岸から仰ぐ前穂高岳。目線が紀美子平を探しに動いたその瞬間、紀美子平のすぐ近くにかわいい女の子の顔が黒型で浮かび上がっている。「紀美子さんの雪形だ」冥福を祈った後、付近を探すと、エンゼルフィッシュやホンドキツネ、キジバトなど黒型の雪形が共演している・・・後略
紀美子さんの顔は前穂が見える場所からはどこからも判った。
大正池~梓川河畔を河童橋へと歩いてくると、いつも大きな瞳の紀美子さんがそこにいた。
6月初め、ニリンソウ群落を眺めながら徳本峠を越えてきて、徳沢ロッジに向かう。
明神小屋から徳沢まで歩いていくと左手、前穂と明神岳にいろんな雪形が見つかる。
それらはまたの機会に楽しみたい。