The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

明治は祭政社会か ⒒

2014-04-30 08:33:54 | Weblog

 二人の会話は意外な方面に移る、彼らの原点になった学生時代である、                 
 「昭和の50年代から60年代の終り頃まで、早稲田大学の近辺には、インテリの老人・やや左翼系の老人がいた」
 「いたね」
 「そこに出かけて、いろいろな話しを聞いた、これが、貴重な経験になった」
 「大学の、あの連中よりもだろう」
 「ふふふ、まあね」
 「プロテスタントのひとりよがりの理解も困ったものだが、それ以上に、左がかった教授たちが、ひどかったね」
 「どっちもどっちだ」

 「ニッポンのインテリは、ひどいね」
 「まったく、自分が正しいと思いこんでいる、上から目線の小ばかにした態度は、どうにかならないもんかね」
 「ほんとーにね、受験勉強のエリートということ、その本質は暗記力、東大だって暗記力で入れる、見てごらんよ、あのハニワヅラを」
 「こまったもんだ、精神の輝きのある若者がいなくなってしまった」

 「さて、当時の早稲田の教授‣助教授、左側の者が多く、教授会の内容が学生運動家につつぬけといったことがあったね」
 「みょーにものわかりがよくて、共産中国の肩をもつのがいた」
 「いたいた、人類の理想の社会だっていうんだ」
 「それで、左翼運動に走った学生も多かった」
 「あの国の現実を知ろうとしない、自分の理想像を押しかぶせる、悪いトコロは見ても見ない」

 「ところで早稲田周辺の老人たち、
  『あの戦争で負けて良かったんだ』
  そんなことを言っていたなあー  」
 「その理由は」
 「軍人がふんぞりかえり、えばり散らし、権力をカサに着て、わがものガオ、それは、ひどかった」
 「もし勝っていたらどうなっていたかと言うんだ、マッカサーのあの異常な人気は、その反動だったという意見だったね」
 「そんなことを言っていたのか」

 「ああ、だから、それが、昭和史理解のヒントになった」

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。