The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

明治は祭政社会か 10

2014-04-25 08:09:39 | Weblog
           
 「だから、ここで究極のドラマが展開した、若い女性が、
  『どうぞ母親といっしょにさせてください、高齢で足が不自由で、世話をする者が必要なんです』
  母親といっしょとはビルケナワ収容所で、そのままガス室に直行なのだが、それは、知らされていない」
 「すごいね」
 「ある母は、
  『この子は身体は大きいんですが、まだ12歳なんです、強制労働はかわいそうです、どうぞ、そちらの収容所にさせてください』 」
   これを聞いた収容所の役人は、 
  『まあ、すきなようにするさ』
  『・・・』
  『結局、おなじことなんだけどな』   」

 「数時間後、若い母親は胸騒ぎにおそわれる、むこうのエントツからモクモクとケムリが出ている、古くからいる収容所のオンナにたずねると、
  『あんたの息子は、あのケムリだよ』
  その後の記憶は、ない、という   」
 「なかなか、だな」
 「ああ、凄惨なもんだ、大きなメカニズムが動くと、止めることができない」

 「ヒトラーは、それを知っていたのかな」
 「どうだろう、ヨダレがダラダラのパーキンソーだからな、知らされていたかどうか、知っていたとしても」
 「知っていても」
 「止められなかっただろうね、日に日に追いつめられている、なによりも食料が逼迫(ひっぱく)していた、そうそう、アウシュビッツで、ある時、大きなソーセジの配給があった」
 「ソーセジね」
 「ふだんはギリギリで、若いおんなが、鬼のような警備兵に、ジャガイモ2個でカラダをまかせることもあった、ようだ」

 「そのソーセジの原料は…」
 「まあ、それは、なかったようだがね」

  
 

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