こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

島根米の将来が決まる日(一部修正)

2015年12月13日 22時58分42秒 | Weblog
先ほど投稿した「島根米の将来が決まる日」の内容について、隠岐地区本部から修正コメントが入ったので、自分としても修正することにする。

修正内容は、以下の通り
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明日は他の地区本部は抜きで担当と担当部と話す予定でした。
銀山、おおちはやる気有ります!!
どうしたら本店に思いを伝え動かすかを明日話すつもりでした…
地区本部は皆さんやる気です。
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というものであった。
でも自分が修正するのは、石見銀山地区本部と島根おおち地区本部が参加しないという事だけ。

隠岐地区本部の部長の言い方に対して、突っ込んでもしょうがないのであるが、「やる気」とは、どんなものなのだろうか。
日本語表現辞典 Weblio辞書で調べると「物事を行おうとする気持ち、欲求などを意味する表現」となっている。

なるほど、なら、使い物にならないという事だ。
今の自分たち業界は、気持ちだけなら必要ない。
それだけでは生き残れない。
「やる気がある」というのなら、そこには必ず行動が起こるはず。

この1年間。
石見銀山地区本部と島根おおち地区本部は、なにか行動を起こしただろうか。
自分は、2地区本部について、1つも行動を確認できていない。
なので、「やる気がある」とは思えていない。

本当に「やる気」があったのなら、たぶんこの1年間で、隠岐地区本部と石見銀山地区本部と島根おおち地区本部の距離は、相当縮まっていたはず。
そして、3地区本部をまとめているJAしまね本店米穀課と、島根米あり方検討会の担当職員との間も、埋まっていたはず。
さらに、同じような危機感を共有して、もっと全員で意見を言い合っていたはず。

もしも「言っていた」と言うのなら、なぜここまで追い込んでしまったのだろうか。
既に崩壊は始まってしまっている。

「地区本部が違うから」というのは、最もずるい言い訳だと思う。
基本的に大きく変わっていないとしても、1JAとなっているのだから、色々な部分で共有する必要はある。
その内容が、島根米の将来にかかわっているとしたら、なおさらである。

隠岐地区本部が、石見銀山地区本部と島根おおち地区本部を叩いているわけではない。
隠岐地区本部が、3地区本部をまとめているJAしまね本店米穀課と、島根米あり方検討会の担当職員を叩いているわけではない。
叩いているのは、「島根県 島根米こだわり米部門アドバイザー」である自分だけである。

この内容を読んでいる人は、そこは間違えて欲しくない。
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苦しくないフク君

2015年12月13日 21時42分46秒 | Weblog


手前の箱の縁に顎をのせて寝ているフク君。
見ていると「苦しいだろう」にと思うのだが。

その奥ではリリ姉が、明日出掛けるために置いたカバンの上に座っている。
おかげで、カバンは毛だらけ。
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島根米の将来が決まる日

2015年12月13日 19時28分18秒 | Weblog
明日、JAしまね隠岐地区本部の提案で、3地区本部をまとめているJAしまね本店米穀課と、島根米あり方検討会の担当職員と、島根おおち地区本部と石見銀山地区本部との協議があるそうだ。

であるが実際、3地区本部をまとめているJAしまね本店米穀課と、島根米あり方検討会の担当職員が参加するかどうかは疑問である。
なぜなら、この1年間の自分の扱いを考えれば、疑いもなく、間違いもなく答えは出てくるからである。

この1年間、何度となく隠岐地区本部からは「島根米の将来のために」と「今しかチャンスが無いから」と、3地区本部をまとめているJAしまね本店米穀課と、島根米あり方検討会の担当職員に対して、さらに島根おおち地区本部と石見銀山地区本部に対して、色々と声掛けをしていた。
そして、何度かは協議もしている。

なのに、半歩も先に進むことは無かった。
逆に、古い全農色が丸出しとなっただけだった。

3地区本部をまとめているJAしまね本店米穀課と、島根米あり方検討会の担当職員は、この1年間、何をしていたのだろう。
1JAとなった初年度であるのだから、普通だったら新しいことに取り組み、成果を出し、1JAとなったことがプラスであったと言ってもらえる、一番良い年であったはず。
なのに、1つの結果も出せないなんて、どうなっているのだろうか。
これなら、1つになった意味はなかったと思う。

そして今、このために、数年かけて作っていた「島の香り隠岐藻塩米」が、崩壊の危機に面している。

JAしまねと関係がない「仁多米コシヒカリ」を除いたら、全国の消費者に対して、今の島根米で誇れるのは、この「島の香り隠岐藻塩米」のみ。
石見銀山の「巨木・ご神木・棚田米つや姫」はテレビ効果も無くなってきている。
島根おおちの「石見高原ハーブ米きぬむすめ」は、ブランド米イメージにすら届いていない。

つまり、JAしまねとして全国に通用するブランド米に育てる予定だった3地区の差別化米が、今消えようとしているのだ。

「島の香り隠岐藻塩米」「巨木・ご神木・棚田米つや姫」「石見高原ハーブ米きぬむすめ」を、全国に通用するブランド米に仕上げるために、自分は「島根県 島根米こだわり米部門アドバイザー」になっていた。
なのに、島根県からの具体的な要請は無かった。
「今年中に動かなければ、ブランド化するタイミングを失う」、それは揺るがない事実。
だからこの1年間、物凄く自分はJAしまねからの要請を待っていた。

隠岐地区本部からは、何度も連絡はあった。
しかし、後の島根おおち地区本部と石見銀山地区本部からは連絡は無かった。
3地区本部をまとめているJAしまね本店米穀課からも無かった。
島根米あり方検討会の担当職員からも無かった。
さらに、新米発表会の席での「来年度の方針発表」についても、自分は完全に無視された。

そのことをブログで書いたら、慌てて東京まで飛んできて謝罪はしてもらった。
でも、その時にお願いしたことについては、それ以降、何の連絡もない。

そして、ついに明日の協議となってしまった。

隠岐地区本部の部長は、全部自分の責任だといっているが、それは全く間違いだ。
一番、島根米の事を考えていたのは、隠岐地区本部だけだったのだから。

明日の協議は、はたしてどうなるのだろうか。

さらに追い打ちをかけるように、島根おおち地区本部と石見銀山地区本部にとっても、3地区本部をまとめているJAしまね本店米穀課にとっても、島根米あり方検討会の担当職員にとっても、最悪のデータ結果が、正式に発表されることだろう。
よって当然、その最悪のデータ結果について、明日は検討することになるだろう。

であるが、1年間、何もやってこなかったJAしまね。
データを持たずして、安易に来年の方針を発表してしまったJAしまねに、この最悪データにメスは入れられるのだろうか。
島根米に一番貢献している隠岐地区本部ですらも助けられないJAしまね。

日本の全体量の1%しかない島根米。
別に流通から無くなっても、誰も気が付かない。

見捨てられる日は近いかも。
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リリ姉

2015年12月13日 12時28分06秒 | Weblog








リリ姉。
起きた!
寝た。
起きた♪
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パワフル講演

2015年12月13日 10時09分29秒 | Weblog
昨日の「稲・コメ・ごはん部会」での自分の講演は、講演冒頭でも説明したが「生臭い内容」であった。
何故なら、産地に実際に話をしている内容、そのものであったからだ。

当初は大手に対しての講演なので、ブランド米というのは関係ないことだろうと思っていた。
だから一番初めは、全く違う資料を作っていた。
であるが、少し作成したころから、大手であれば、産地全体を見渡すことは出来るかもしれない。
しかし、産地の点の部分については、ほぼ見ることは出来ないし、ミクロすぎて使いきれない。
でも、産地というのは点の集まり。
点と点を繋いでいくことで、産地は初めて動き出すことが出来る。
その繋ぐ行為が「ブランド化計画」である。
であるらなば、この「稲・コメ・ごはん部会」でこそ、ブランド化の大切さを離すべきだろうと考えた。

よって、産地でブランド化計画の説明する時の資料に近いものを作り上げたことから、「生臭い内容」となったしまったのだ。

2時間で話す内容を50分。
ゆっくりと話している暇はなく、いつも以上の弾丸トーク炸裂。
そして、今まで一度も聞いたことが無い内容。
話している方も、聞いている方も、完全に疲れ切る。
なので、途中に笑いも入れて、リフレッシュを繰り返す講演にした。

その効果もあっのだろうか。
「稲・コメ・ごはん部会」連絡幹事さんから、以下のようなメールが届いた。

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日はありがとうございました。
西島さまの現実味あふれるパワフルな内容により大変スマートなセミナーになりました。
私もとても勉強になりました。

とてもわかりやすく参考になったと出席の方々から感謝の意を頂戴し、おかげさまで大好評のセミナーとして終わらせることができました。

ご多用中、まお引受け頂きましたことに深く感謝致しますとともに、今後も変わらぬご教示を賜りたくお願い申し上げます。
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まだ講演疲れをしていて、ぼーっとしているが、午後からはJA小松のブランド化計画を作らなくては。

ちなみに、次回の「稲・コメ・ごはん部会」は、6~7月頃を予定しているとのこと。
今回参加できなかった人は、次回は参加してみてください。
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