1945年、8月6日8時15分には広島に、8月9日11時2分には長崎に、あの憎むべき原爆が投下された。
それから67年を経た今年の同日、それぞれに平和祈念式典が行われた。
その様子は、NHKのテレビで放映される。
私は毎年そのテレビだけは見て、画面の中の人たちと一緒に、原爆投下の時間に合わせて黙祷している。
もっと積極的に核兵器廃絶の運動に加わらなければ、という思いはあるが、なかなかそれはできず、「せめて」という気持ちからだ。
8月6日。
テレビ画面には、私も何度か訪れた、広島の平和公園が映し出される。
毎年行われる、広島市長の「平和宣言」と、小学校6年生の男女2人による「平和への誓い」。
どちらからも、核兵器廃絶と平和への強いメッセージが発信されて、聞いていて、胸が熱くなる。
今年の平和宣言では、福島の原発事故が切実な問題として取り上げられ、福島との連帯が強調された。
福島からは、あの浪江町の馬場町長が式典に参列されていて、放射能問題について、広島から学びたいとおっしゃっていた。
8月9日の長崎。
式典会場だけではなく、いろんな場所で、原爆で亡くなった方への鎮魂と平和への祈りが、捧げられる。 (これは、広島でももちろん同じだが)
長崎平和祈念式典は、“被爆者歌う会≪ひまわり≫”の合唱で始められた。
歳を重ねられた被爆者の方々が、“もう二度と作らないで、わたしたち被爆者を”と、美しく・優しく・強く歌われる姿には、本当に心打たれた。
それと、長崎の平和運動ですばらしいと思うのは、「高校生平和大使」の活動だ。
今年で15年目になるこの活動は、高校生たちが核兵器廃絶の署名を集め、自ら国連にそれを提出して、自分たちの願いを直接訴える事を、中心の
活動にしている、とのこと。
そして今年は、福島県南相馬の高校生・高野桜さんが、その平和大使の一人として、長崎の高校生たちと一緒に、ジュネーブに行かれるのだそう
だ。
←祈念式典に参加されてる高野さん。
彼女は今、(妹と一緒に福島を離れて、別の場所で生活されてるお母さんとは別れて)お父さんと仮設住宅で暮らしながら、高校に通っておられる。
そして最近、彼女の甲状腺に、ごく小さい塊が見つかったとか‥。(あまり問題ではないらしいが)
そんな厳しい、不安な状況の中でも、彼女はがんばっておられるのだ。
そしてこの式典には、彼女以外に、福島いわき市の中学生24人・高校生10人も参加されていた。
私は、広島と同じく長崎でも、被爆地と福島とのつながりが強まっていることが分かって、うれしく思った。
それと、もう一つうれしいニュースは、年老いていく被爆者の活動を受け継ぐために、「被爆二世の会 ナガサキ」が、今年新たに発足したということ。
核兵器廃絶の運動も、福島の原発問題も、解決はそう容易ではないだろうけど、人々の地道な取り組みが、一歩一歩進んでいる。
何もできない私だが、せめて、ヒロシマ・ナガサキ・福島のことに、これからも、関心だけは持ち続けたいと思う。
どうか、遠くない将来に、人類が核の危険にさらされないで、平和に暮らせる世の中がやってきますように!
↓ 広島市長の平和宣言の後に、平和を願って放たれた鳩たち