2020年のオリンピックの開催地に東京が決まった。
その翌朝のテレビでは、各局のアナウンサー・キャスターが、申し合わせたように満面の笑みを浮かべ、興奮気味にこのニュースを伝えた。
それに続いて、東京招致を手繰り寄せたと言われる、スポーツ選手たちの名スピーチや安倍首相の演説の映像が、誇らし気に流される。
そしてその後は、この決定に興奮し、互いに抱き合い大声で叫び、狂喜乱舞する日本人の姿が、これでもかこれでもかと映し出された。
ヒネクレモノの私は、(普段は、テレビ大好き人間であるにも拘わらず)ほとほと嫌気がさして、思わずテレビを切った。
私は、オリンピックの東京招致が今の日本にもたらす功罪については、正直よく分かっていない。
でも、翌日のテレビの映像には、何か異常なものを感じた。
オリンピックで、今日本が抱えている問題が全て解決するかのような、お祭り騒ぎ!
その冷静さを欠いた人々の姿・マスコミの映像に、大きな危惧を感じる。
折しも私たちは、東京オリンピック決定から程なくの昨日(9月11日)、あの東日本大震災から2年半という節目の日を迎えた。
未だ復興は十分に進まず、福島は、放射能の危険の中にある。
そんな中でのあのお祭り騒ぎ・狂喜乱舞‥。
私は奇異に思うと同時に、何か空恐ろしいものさえ感じた。
安倍首相は、「原発は完全に我々のコントロール下にある」と、世界に向かって大見得を切った。
首相が、現実を偽ってまで、オリンピック招致に懸ける意図は何?
そこには、政治的・経済的な目論見があるのだと思う。
それを、スポーツの素晴らしさで包み隠すようなやり方は、止めてほしい。
そんなことをすれば、純粋な気持ちで招致活動に取り組んだスポーツ選手たちをも、裏切ることになる。
スポーツを政治の道具にすることは、許されないことだと思う。
東日本大震災・福島原発の放射能汚染で苦しむ人々、貧困で苦しい生活を余儀なくされている人々を置き去りにしたオリンピック招致を、私はやはり素
直に喜ぶことができない。