のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

最近私の心をとらえた、もう一人の画家

2014-08-10 08:06:15 | 日記

 広島で被爆し、原爆の悲劇の本質を描こうと苦闘された画家・福井芳郎氏のことを、先日書いたばかり…。

 でもその1週間前(8月3日)に、同じ「日曜美術館」で紹介された『宮芳平(みや・よしへい)』氏のことも、やっぱりブログに残しておきたくなった。

 

 宮芳平氏は、1893年(明治26)の生まれ、1971年(昭和47)に78歳で逝去される。

 彼は、若い頃から画家として独立しようと、絵の制作に精進を続けられた。

 彼の20代の作品の中から、私が好きだった一枚。(題名は忘れてしまった…)

                         

 


 

 でも、画家一本で生きていくことは、なかなか困難。

 彼の生活の窮状を見かねた知り合いの方が、彼に高校の教師の口を紹介する。

 初めは、教師の仕事と自分の絵を探究することの間で、彼は苦悩される。

 しかし、純真な生徒たちと一緒に自然の中で絵を描いていくうちに、彼の絵に、新たな展開が生まれ始める。

                   

                                 『茜さす山』 (1937年)

                      

                                 『花園に花満つる』 (1956年)

                      

                                    『雪後』 (1956年) 

 

 自己の内部だけを見つめていたかのような彼の絵が、自分の外の世界・自然の豊かさに目を向けることで、鮮やかな色彩に満たされた。

 この時期の彼の作品の中で、私が一番好きだった…『けしの花』(1965年) 〈私が芥子の花そのものが大好きだということもあるが〉

                   

 

 


 

 その後彼は、キリスト教の世界に心惹かれ、何枚かのキリスト教に関係する絵を描いていかれる。 

      

             『逃避』 (1970年)                             『ゴルゴダ』 (1970年)

 

 

 私はキリスト教がよく理解できないこともあって、いわゆる宗教画はあまり好きではないが、宮氏の絵にはなぜか心に響くものがある。

 

 次の『マグダラのマリアの悲しみ』(1970年)は、妻エンへの懺悔の想いから描かれたとも言われる。

                      

 

 

 肺病を患いながら8人の子どもを産み、47歳の若さで逝った、妻エン。

                          

 

 

 次の『エフタとその娘』は、父のために自らの身を神へ捧げた娘の絵だが、宮氏は、罪深い父に自分を、娘に妻を重ね合わせたと、言われている。

                   

 

 


 

 

 キリスト教に関係した絵と同時に、宮氏が晩年、亡くなられるまで描き続けられたモチーフに、≪太陽≫がある。

 

 下の写真・左は、1970年に描かれた、『白い太陽』。

 右は、絶筆となった、『黒い太陽』(1967~1971年)。

 体調を崩された彼は、この絵の太陽に、黒い絵の具を塗ったあと、入院。

 末期がんを宣告され、わずか半月後に、帰らぬ人となられたのだそうだ。

                          

                  

 

 太陽は黒いけれど、周りは明るい色彩に満ち溢れている。

 それはまるで、自らの満ち足りた心と、人と自然への溢れる愛を、表しているかのようだ。