のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

強い感銘を受けた<長崎平和祈念式典>

2017-08-11 19:06:40 | 日記

 8月9日は、広島に続いて、長崎にも原爆が投下されて、72年目の日だ。 

 例年どおりその日には<長崎平和祈念式典>が行われ、NHKがその模様と今の長崎の状況を実況中継した。

                   

 

 

 

 長崎平和祈念式典の前には、「被爆者歌う会<ひまわり>」の方々が、想いを込めて、<もう二度と>を歌われる。

 私は毎年この歌声を聴かせてもらっているが、今年は被爆者の方の高齢化が進み、椅子に座って歌われている方の数が増え

 たような気がした。 

 それだけに、「もう二度とつくらないで 私たち被爆者を」歌詞が、よけい強く私の胸に迫ってきた。

                    

 

                       

                       元気で歌われる、最年長(92歳)の田川照子さん

 

 

 

 午前11時2分。

 <長崎の鐘>が鳴らされ、その澄んだ音色の下、式典会場と長崎の町の至る所で、人々が黙祷を捧げられていた。 

                       

 

                       

 

 

 

 そして、長崎市長・田上氏によって、いつもに増して力強い、<長崎・平和宣言>が行われた。

 それは、聴衆の胸を熱くし、人々に、核廃絶への希望と確信をもたらす、素晴らしいものだった。

                      

 

 

 田上市長はまず、被爆者の長年の願いであった<核兵器禁止条約>が国連で採択されたことに、無上の喜びを表されると

 同時に、この条約を真に活かすことを訴えられた。

 

 そのために、

 <核を持つ国・核の傘の下にいる国>に対しては、「安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなら

 ない!」と断じ、「核兵器によって国を守ろうとする政策を見直す、勇気ある決断」を求められた。

 

 そして<日本政府>に対しては、「唯一の被爆国として、また平和憲法を有する国として、核兵器禁止条約への一日も早い

 参加をめざし、核の傘に依存する政策を見直すように」強く訴えられた。

 

 そして、世界各国のリーダーと世界の人々に向けて発せられた次の言葉は、私の心を強く揺さぶった。

 「世界各国のリーダーの皆さん、被爆地を訪れてください遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きた

 のか、原爆が人間の尊厳をどれ程残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て耳で聞いて、心で感じてください!そして、

 自分の家族がそこにいたらと考えてください。」

 

 「世界の人々に訴えます! 最も怖いのは、<無関心なこと>と<忘れる>ことです。 戦争体験者や被爆者からの<平和

 のバトン>を、途切れさせることなく未来へつないでいきましょう!」 「被爆者が声をからして訴え続けてきた<長崎を最後の

 爆地に!>という言葉を、人類共通の願いにしていきましょう。」

 

 田上市長は最後に、同じ核の脅威にさらされたフクシマとの共闘にも触れられ、核廃絶の力強いメッセージを送られた。

 

 市長が宣言を終えられると、平和の像の周りを、放たれた鳩が力強く羽ばたいた。

                     

      

 

 

 

 市長の宣言と並んで私に感動を与えたのは、被爆者代表・深堀好敏氏の<平和への誓い>だった。

 深堀氏は88歳。 脚がお悪いとみえて、女性に腕を支えられての登壇だったが、いったん壇上に立たれると、穏やかながら

 はっきりした口調で、力強く<平和への誓い>を述べられた。

               

 

                             

 

 

 深堀氏は、自身は16歳の学徒動員中に被爆されたが、幸い生き残られた。

 しかし、爆心地近くにおられた18歳のお姉さんは、無残な姿で爆死される。

 そのお姉さんの最期をちゃんと看取れなかった後悔と、彼女を、母親と共に、炎天下でだびに付した時の辛さ悲しさを、しみじみ

 と語られた。

 そして、その時の悲しみに沈んだ声とは全く違った力強さで、氏は、「核は人類と共存できない」と、キッパリ断言された。

 地震国の日本で、原発を再稼働する愚かさにも触れられ、核廃絶を強く訴えられた。

 本当に素晴らしい<平和への誓い>だった。

 

 この式典、なかんずく、上に記したお二人の言葉によって、私は大いに励まされた。

 現実はなかなか一筋縄ではいかないけれど、私も微力ながら、核兵器廃絶の運動の末端につながりたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


8月6日・<ヒロシマ原爆の日>に思う

2017-08-11 15:59:59 | 日記

 1945年8月6日、8時15分、広島の上空に、人類初めての原子爆弾が炸裂し、広島の街が壊滅した。

 あれから72年。

 私は広島県の隣の島根県の生まれということもあって、幼い頃から、広島の原爆のことは、戦争中の苦しい生活の話とともに、

 周囲の人たちから何となく聞かされてきた。

 でもその頃は、ただ漠然と、原爆というスゴイ爆弾が落とされたんだ、というくらいの認識しかなかった。

 しかし成長するにつれて、歴史を勉強し、いろんな本を読み、広島の平和公園や原爆資料館にも訪れたりする中で、原爆の非

 人間性を強く感じるうになってきた。 

 原爆・核兵器を絶対に許すことはできないという強い思いは、私の反戦・平和の気持ちの、中心を占めている。

 

 今年の8月6日の朝も、広島平和公園では原爆犠牲者への追悼式典が行われ、テレビ中継されていた。

 私は毎年そうしているように、テレビの前で式典を見、原爆投下の8時15分には1分間の黙とうをささげた。

 黙祷を捧げながら、私は、今の日本と世界の平和の危機に、思いを巡らせていた。

 この夏国連で、被爆者の方たち(だけではないが)の悲願であった<核兵器禁止条約>が採択されるという、嬉しいニュース

 があった。

 しかし一方、核保有国はこの条約に反対し、事もあろうに、唯一の被爆国である日本も、変な理由をつけて条約に反対し、会議

 にすら参加しなかった。

 そんな中、トランプ政権のアメリカと北朝鮮の間には、一触即発の危険があり、日本の現政権は、核の傘の下で、憲法の平和

 条項の改悪をもくろんでいる。

 

 平和にかかる危険な暗雲に恐怖を感じつつ、私は、平和公園の碑に書かれた「誓いのことば(下の写真)」を、心の中でかみ

 しめた。

 そしてテレビ中継が終わったあと、本棚から下の詩集を出してきて、原爆の非道さを如実にえぐり出した、峠三吉氏の下の詩を

 読み返して、何とか原点に立ち戻ろうとした。

                   

 

 

                         「仮包帯所にて」            峠三吉  

 

            あなたたち

            泣いても涙のでどころのない

            わめいても言葉になる唇のない

            もがこうにもつかむ手指の皮膚のない

            あなたたち

 

            血とあぶら汗とリンパ液とにまみれた四肢をばたつかせ

            糸のように塞いだ眼をしろく光らせ

            あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ

            恥ずかしいところさえはじることをできなくされたあなたたちが  

            ああみんなさきほどまでは愛らしい

            女学生だったことを

            たれがほんとうと思えよう

 

            焼け爛れたヒロシマの

            うす暗くゆらめく焔のなかから

            あなたでなくなったあなたたちが

            つぎつぎととび出し這い出し

            この草地にたどりついて

            ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める  

 

            何故こんな目に遭わねばならぬのか

            なぜこんなめにあわねばならぬのか

            何の為に

            なんのために

              そしてあなたたちは

            すでに自分がどんな姿で

            にんげんから遠いものにされはてて

            しまっているかを知らない

 

            ただ思っている

            あなたたちはおもっている

            今朝がたまでの父を母を弟を妹を

            (いま遭ったってたれがあなたとしりえよう)

            そして眠り起きごはんをたべた家のことを

            (一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)

 

            おもっているおもっている

            つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって

            おもっている

            かつて娘だった

            にんげんのむすめだった日を

                  

     (※パソコンの漢字変換機能がうまく働かなくて、原作の表記と違っているところがあります。お許しの程。)