8月9日は、広島に続いて、長崎にも原爆が投下されて、72年目の日だ。
例年どおりその日には<長崎平和祈念式典>が行われ、NHKがその模様と今の長崎の状況を実況中継した。
長崎平和祈念式典の前には、「被爆者歌う会<ひまわり>」の方々が、想いを込めて、<もう二度と>を歌われる。
私は毎年この歌声を聴かせてもらっているが、今年は被爆者の方の高齢化が進み、椅子に座って歌われている方の数が増え
たような気がした。
それだけに、「もう二度とつくらないで 私たち被爆者を」の歌詞が、よけい強く私の胸に迫ってきた。
元気で歌われる、最年長(92歳)の田川照子さん
午前11時2分。
<長崎の鐘>が鳴らされ、その澄んだ音色の下、式典会場と長崎の町の至る所で、人々が黙祷を捧げられていた。
そして、長崎市長・田上氏によって、いつもに増して力強い、<長崎・平和宣言>が行われた。
それは、聴衆の胸を熱くし、人々に、核廃絶への希望と確信をもたらす、素晴らしいものだった。
田上市長はまず、被爆者の長年の願いであった<核兵器禁止条約>が国連で採択されたことに、無上の喜びを表されると
同時に、この条約を真に活かすことを訴えられた。
そのために、
<核を持つ国・核の傘の下にいる国>に対しては、「安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなら
ない!」と断じ、「核兵器によって国を守ろうとする政策を見直す、勇気ある決断」を求められた。
そして<日本政府>に対しては、「唯一の被爆国として、また平和憲法を有する国として、核兵器禁止条約への一日も早い
参加をめざし、核の傘に依存する政策を見直すように」強く訴えられた。
そして、世界各国のリーダーと世界の人々に向けて発せられた次の言葉は、私の心を強く揺さぶった。
「世界各国のリーダーの皆さん、被爆地を訪れてください。遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きた
のか、原爆が人間の尊厳をどれ程残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て耳で聞いて、心で感じてください!そして、
自分の家族がそこにいたらと考えてください。」
「世界の人々に訴えます! 最も怖いのは、<無関心なこと>と<忘れる>ことです。 戦争体験者や被爆者からの<平和
のバトン>を、途切れさせることなく未来へつないでいきましょう!」 「被爆者が声をからして訴え続けてきた<長崎を最後の
被爆地に!>という言葉を、人類共通の願いにしていきましょう。」
田上市長は最後に、同じ核の脅威にさらされたフクシマとの共闘にも触れられ、核廃絶の力強いメッセージを送られた。
市長が宣言を終えられると、平和の像の周りを、放たれた鳩が力強く羽ばたいた。
市長の宣言と並んで私に感動を与えたのは、被爆者代表・深堀好敏氏の<平和への誓い>だった。
深堀氏は88歳。 脚がお悪いとみえて、女性に腕を支えられての登壇だったが、いったん壇上に立たれると、穏やかながら
はっきりした口調で、力強く<平和への誓い>を述べられた。
深堀氏は、自身は16歳の学徒動員中に被爆されたが、幸い生き残られた。
しかし、爆心地近くにおられた18歳のお姉さんは、無残な姿で爆死される。
そのお姉さんの最期をちゃんと看取れなかった後悔と、彼女を、母親と共に、炎天下でだびに付した時の辛さ悲しさを、しみじみ
と語られた。
そして、その時の悲しみに沈んだ声とは全く違った力強さで、氏は、「核は人類と共存できない」と、キッパリ断言された。
地震国の日本で、原発を再稼働する愚かさにも触れられ、核廃絶を強く訴えられた。
本当に素晴らしい<平和への誓い>だった。
この式典、なかんずく、上に記したお二人の言葉によって、私は大いに励まされた。
現実はなかなか一筋縄ではいかないけれど、私も微力ながら、核兵器廃絶の運動の末端につながりたいと思った。