Eテレの<ららら♪クラシック>は、この4月から、タイトル画面も司会者も新しくなった。
それまでの加羽沢美濃さん司会の<ららら♪クラシック >を結構楽しんでいた私は、今まで俳優としてしか知らなかった
<高橋克典さん>の司会はどんなんかな?と素朴に思っていた。
しかし、1回目の番組を見たときから、私はすっかり<高橋克典ファン>になってしまった。
高橋さんは、俳優になられる前はロックのボーカルだったそうだが、ご両親は共にクラシックに関係するお仕事をされている
のだそうだ。
なので彼は小さいときからクラシックにはなじんではおられた。
しかし、若いときの習いもあってか、クラシックではないロックの道に進まれ、その後俳優として活躍される。
でも年齢を重ねられて、クラシックに対する興味が今までより増している中で、折よく、今回の<ららら♪クラシック>の話が
あったのだそうだ。
そういう背景があってか、彼のクラシックに対する向かい方は、とても真摯で的を射ていて、好感が持てる。
今まで放映された<新装・ららら♪>はどれも面白かったが、今日は、先々週放映された、ベートーベンの「田園」を取り上げ
た<ららら♪>を見て感じたことを、ちょっとだけ書かせていただきます。
(1)まず、今回の<ららら♪>で、私が初めて知って驚いたのは、あの<宮沢賢治>がベートーベンの大ファンだったこと。
どちらかと言うと物静かな感じのする宮沢賢治が、爆発力抜群のベートーベンと、私の中では結びつかなかった。
(まあ「田園」だったら、賢治の好みにも合うかな‥とは思ったが)
そして更に驚かされたのは、(賢治の代表的な写真である)下の写真が撮られたときのいきさつについてだった。
私はこの写真を、賢治が、愛する自然の中を、物思いにふけりながら歩いているときのスナップ写真だと思っていた。
しか~し!
実はこの写真は、大好きなベートーベンの写真(右下)に似せて、わざわざポーズをとって写してもらったものだというのだ。
しかもなかなか満足のいくものが撮れず、6・7回も撮り直してもらってできたものだという。
宮沢賢治にこんな面があったことには、本当にビックリもし、何かほほえましくも感じた。
(2)次に私は、ベートーベンの音楽に対する追求の姿勢の凄まじさを、この番組によって改めて知った。
「田園」は、ベートーベンが聴覚の障害に苦しめられている中で作られた。
オーストリアの郊外のハイリゲンシュタットの森を彷徨いながら、ベートーベンは悩み苦しみ、「ハイリゲンシュタットの遺書」
と呼ばれる手紙を、弟に宛てて書いている。
その中で彼は、次の写真のようなことを書いている。
下の写真の「私を(死から)ひきとめたものは、ただ<芸術>のみだった。」と述べた後、更に続けて次のように書いている。
「自分の使命を自覚している仕事をなしとげずに、この世を見捨ててはならないように思われたのだ。」
ベートーベンの音楽に対する、すざましい程の執念・情熱!
やはり彼は常人ではない。
(3)最後に、「田園」に込められたベートーベンの思いについて。
私はベートーベンの交響曲の中では、「運命」や「英雄」など、感情をかきむしられるような激しいものが好きだった。
なのでむしろ「田園」には、ちょっと物足りないという感じを持っていた。
でも今回の<ららら♪>で、「田園」が書かれた時代背景との関係でこの曲を見る視点を、音楽評論家<平野昭氏>から
学ぶことができた。
平野氏、曰く‥
「この時代は、ナポレオンが各地で戦争をしかけた時代。
(最初ナポレオンを庶民の味方だと思って崇拝していたベートーベンは、彼が皇帝になったことを知って落胆激怒し、ナポ
レオンに捧げるつもりで作った「英雄」から、ナポレオンの名まえを消してしまう。)
そんな時期に作られた「田園」は、田園の風景を音楽で表したにとどまらず、彼の願いをも表した作品だとのこと。」
その願いとは…
平野昭氏はこう語られる。
そうか、なるほどなあ!と、私は思った。
ベートーベンは、「田園」の中に、ナポレオンが繰り広げる戦争とは真逆の、<平和>を見たのだ。
その思いが、ベートーベン最後の交響曲・「第九」に、昇華され結実したのかもしれない。
上の3つの意味で、「田園」を取り上げた<ららら♪クラシック>は、とっても面白かった。
(前回の、ストラビンスキーの「春の祭典」も、面白かった!)
私はこれからの<ららら♪クラシック>にも、大いに期待している。