1928年(昭和13年)生まれの
残されたおばあちゃん
「英子さん」
夫の修一さん(1925年生まれ)が亡くなられた
その年の秋
いつもの年と同じように
庭にあるフルーツの収穫を終え
沢山の段ボール箱に分け入れ
ている、1シーンがありました
庭には、シイの木、栗、サクランボ
ハッサク、等あり、英子さんのじゃがいも畑
数々の都市計画を手がけて修一さんと英子さんの
住み続けた家は、
修一さんの設計、デザインされた「団地の一角」
大好きな設計者の木造の家
庭には小鳥用の水瓶
修一さんの言葉
「日本の設計者は、団地の設計だけをし
自分は、都会のマンションに住んでいる
おかしな人たちが多い」
英子さん
ほとんどの食事は、手作り
ケーキ、コロッケ、ビーフシチュウ
孫には、茶色ばかりと言われたそうである
「いいものを食べさせれば、いいふうになるのでは
ないか」
部屋の片隅には、機織り機
手仕事が、大好き
前向きで、素敵な笑顔だ
そして、修一さんの命の最後
(C)東海テレビ放送
残されたおばあちゃん
「英子さん」
夫の修一さん(1925年生まれ)が亡くなられた
その年の秋
いつもの年と同じように
庭にあるフルーツの収穫を終え
沢山の段ボール箱に分け入れ
ている、1シーンがありました
庭には、シイの木、栗、サクランボ
ハッサク、等あり、英子さんのじゃがいも畑
数々の都市計画を手がけて修一さんと英子さんの
住み続けた家は、
修一さんの設計、デザインされた「団地の一角」
大好きな設計者の木造の家
庭には小鳥用の水瓶
修一さんの言葉
「日本の設計者は、団地の設計だけをし
自分は、都会のマンションに住んでいる
おかしな人たちが多い」
英子さん
ほとんどの食事は、手作り
ケーキ、コロッケ、ビーフシチュウ
孫には、茶色ばかりと言われたそうである
「いいものを食べさせれば、いいふうになるのでは
ないか」
部屋の片隅には、機織り機
手仕事が、大好き
前向きで、素敵な笑顔だ
そして、修一さんの命の最後
(C)東海テレビ放送