昨年(2012年)の11月に、2013(平成25)年2月に、八王子城の御主殿跡の平面展示が完成する予定という看板を見つけてはしゃいでいた私。そして、2013(平成25)年8月に、今回は我が嫡男と八王子城を訪れました。そろそろ我が嫡男も城攻めデビューです(笑)今日は御主殿だけではなく、本丸まで登るぞ~!
2008(平成20)年にできた駐車場に愛車を止めて、まずは2012(平成24)年10月にできた「八王子城ガイダンス施設」に行きます。
ここで息子は八王子城のゲームに夢中になっておりました。
ゲームばかりやっていても困るので、「ほーら嫡男こっち~!立体パズルだよ~」なんて誘導して出土品の組み立てをやらせてみる!するとすぐ終わってしまったらしく「パパもうできたよ~!」う~ん将来は考古学者か…なんて親バカなことを考えてみる(笑)
立体模型で八王子城を確認。施設の人が親切にも電気を落としてくれました。朝一番できたのでまだお客がいなかったので、貸切状態!
昨年撮った写真と比べてもよく見えることがわかります。暗くしてくれた職員に感謝。こう見ると、やはり山城は高低差がありますね。で、この立体模型はCGなので、現代の風景にもなります。それがこちら。
おお!一面の緑。自然が回復しているのが見えますね。逆に言うと、戦国時代はかなり森林が伐採されていた。それは木々に紛れて侵入者を防ぐような目的があった。私たちが訪れる山城の風景はほとんど往年と違うことがわかります。
せっかくガイダンス施設もできたことだし、今回はボランティアガイドさんに同行してもらうことにしました。八王子城訪問5回目にして初!嫡男に外の模型で八王子城の歴史を簡単に説明してくれますが、嫡男はちんぷんかんぷんのよう。時折「織田信長?豊臣秀吉?」などの知っている人物を聞いて反応する感じ。こんなんで後継者として大丈夫かな?(笑)
ガイドさんによるとよく見るといろんな見どころがあるらしく、大手門にわたる手前の私有地に入っていきました。「ここは昔お寺があったのですが、廃寺になりまして、一応私有地なんですが誰も今は住んでいません。遠くにあるお寺が管理者になっていますが、ほとんど来ることはないですね。ここは曲輪がかなり残っているので行ってみましょう!」という感じで入った場所がここ。写真左奥が元寺の入口。石柱が立っていますがこれは昭和の初めに寺があったころに建てられたものだそうです。石柱の横にあるのは八王子城の往年からあると思われる土塁。すごいなあ…。
さて、大手門跡に来ました。「なんでここから大手道を整備しないんですかね?」と聞いたところ、ガイドさんは「私も旧大手道を調べたことがあるのですが、ここから先は獣道程度で、さらに奥に行くと藪がすごくていけませんね。しかも私有地のために発掘調査は元より観光客を通すこともできない状態です…」とのこと。やはり私有地…文化財の敵だな…。
(写真は2008年のものです)
さて、私が2008年から疑惑を持っている曳き橋です。
(写真は2008年のものです)
2008(平成20)年の訪問記を見てみると「曳き橋の真ん中から石垣をとっている写真をもう一度見てください。石垣が途中で途切れていて木柵があります。これは一体なんのため?本来はここに木橋をかけていた?説明板にどのように復元したか書いていたので詳細は知ることができないのが残念です。」と書いていました。
(写真は2013年のものです)
上(御主殿跡)からみるとこんな感じです。明らかに曳き橋は右端の石垣で行き止まりになったところに架けられていたのでは?とガイドさんに聞いてみたところ…
ガイド「そうなんです!現在の曳き橋が架けられているところまで発掘調査が終わったら急遽文化庁から復元曳き橋の予算が認められて作ってしまったんです。で、その後右側の発掘調査をしたら石垣の終点が見つかった。専門家も曳き橋を架けた場所は誤りであると認められているそうです。曳き橋の寿命は20年程度。次に架け替える時には元の位置に戻せるかどうか…。」なるほど…そんな葛藤があったんですね。確かにそう聞くと復元するのもなかなか問題が多いのだなっと思ったりもします。
さて、曳き橋の後ろは御主殿跡。相当の高低差があります。虎口と櫓門を通って行きますが、ここもガイドさんのスーパーバイザーが炸裂!
ガイド「ここの石垣なんですが、この石垣じゃ低すぎて乗り越えられちゃうと思いません?さらに土塁のままだとこの傾斜では土砂崩れも起きてしまいます。専門家は発掘調査がないと何も言えませんが、私たちは在野で好き勝手に考えられるので、そうすると、ここには1段目の石垣からセットバックして3段くらいの石垣があったと思うんです。」
なるほどね~そうやって崩壊を防いでいたのか~。う~ん。3段の石垣…どっかで見たような気がする…。あ~~~~~~~~~~~~!
写真は七尾城の調度丸付近です。このような光景が八王子城でもあったのかと。そういえば八王子城の石垣も野面積み。共通点も多いなあ。全国の山城をみると共通点も多く見えるね~。だんだん各地の城を見るのが楽しくなってきます。
書くのが着かれたので、今日はここまで…最近体力が持たん…
2008(平成20)年にできた駐車場に愛車を止めて、まずは2012(平成24)年10月にできた「八王子城ガイダンス施設」に行きます。
ここで息子は八王子城のゲームに夢中になっておりました。
ゲームばかりやっていても困るので、「ほーら嫡男こっち~!立体パズルだよ~」なんて誘導して出土品の組み立てをやらせてみる!するとすぐ終わってしまったらしく「パパもうできたよ~!」う~ん将来は考古学者か…なんて親バカなことを考えてみる(笑)
立体模型で八王子城を確認。施設の人が親切にも電気を落としてくれました。朝一番できたのでまだお客がいなかったので、貸切状態!
昨年撮った写真と比べてもよく見えることがわかります。暗くしてくれた職員に感謝。こう見ると、やはり山城は高低差がありますね。で、この立体模型はCGなので、現代の風景にもなります。それがこちら。
おお!一面の緑。自然が回復しているのが見えますね。逆に言うと、戦国時代はかなり森林が伐採されていた。それは木々に紛れて侵入者を防ぐような目的があった。私たちが訪れる山城の風景はほとんど往年と違うことがわかります。
せっかくガイダンス施設もできたことだし、今回はボランティアガイドさんに同行してもらうことにしました。八王子城訪問5回目にして初!嫡男に外の模型で八王子城の歴史を簡単に説明してくれますが、嫡男はちんぷんかんぷんのよう。時折「織田信長?豊臣秀吉?」などの知っている人物を聞いて反応する感じ。こんなんで後継者として大丈夫かな?(笑)
ガイドさんによるとよく見るといろんな見どころがあるらしく、大手門にわたる手前の私有地に入っていきました。「ここは昔お寺があったのですが、廃寺になりまして、一応私有地なんですが誰も今は住んでいません。遠くにあるお寺が管理者になっていますが、ほとんど来ることはないですね。ここは曲輪がかなり残っているので行ってみましょう!」という感じで入った場所がここ。写真左奥が元寺の入口。石柱が立っていますがこれは昭和の初めに寺があったころに建てられたものだそうです。石柱の横にあるのは八王子城の往年からあると思われる土塁。すごいなあ…。
さて、大手門跡に来ました。「なんでここから大手道を整備しないんですかね?」と聞いたところ、ガイドさんは「私も旧大手道を調べたことがあるのですが、ここから先は獣道程度で、さらに奥に行くと藪がすごくていけませんね。しかも私有地のために発掘調査は元より観光客を通すこともできない状態です…」とのこと。やはり私有地…文化財の敵だな…。
(写真は2008年のものです)
さて、私が2008年から疑惑を持っている曳き橋です。
(写真は2008年のものです)
2008(平成20)年の訪問記を見てみると「曳き橋の真ん中から石垣をとっている写真をもう一度見てください。石垣が途中で途切れていて木柵があります。これは一体なんのため?本来はここに木橋をかけていた?説明板にどのように復元したか書いていたので詳細は知ることができないのが残念です。」と書いていました。
(写真は2013年のものです)
上(御主殿跡)からみるとこんな感じです。明らかに曳き橋は右端の石垣で行き止まりになったところに架けられていたのでは?とガイドさんに聞いてみたところ…
ガイド「そうなんです!現在の曳き橋が架けられているところまで発掘調査が終わったら急遽文化庁から復元曳き橋の予算が認められて作ってしまったんです。で、その後右側の発掘調査をしたら石垣の終点が見つかった。専門家も曳き橋を架けた場所は誤りであると認められているそうです。曳き橋の寿命は20年程度。次に架け替える時には元の位置に戻せるかどうか…。」なるほど…そんな葛藤があったんですね。確かにそう聞くと復元するのもなかなか問題が多いのだなっと思ったりもします。
さて、曳き橋の後ろは御主殿跡。相当の高低差があります。虎口と櫓門を通って行きますが、ここもガイドさんのスーパーバイザーが炸裂!
ガイド「ここの石垣なんですが、この石垣じゃ低すぎて乗り越えられちゃうと思いません?さらに土塁のままだとこの傾斜では土砂崩れも起きてしまいます。専門家は発掘調査がないと何も言えませんが、私たちは在野で好き勝手に考えられるので、そうすると、ここには1段目の石垣からセットバックして3段くらいの石垣があったと思うんです。」
なるほどね~そうやって崩壊を防いでいたのか~。う~ん。3段の石垣…どっかで見たような気がする…。あ~~~~~~~~~~~~!
写真は七尾城の調度丸付近です。このような光景が八王子城でもあったのかと。そういえば八王子城の石垣も野面積み。共通点も多いなあ。全国の山城をみると共通点も多く見えるね~。だんだん各地の城を見るのが楽しくなってきます。
書くのが着かれたので、今日はここまで…最近体力が持たん…