畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

八王子城in2013 其の3

2013-08-04 17:49:00 | 旅行・観光
八王子城in2013 其の3

では、前回の続き。八王子城へ行ってきました。
前回はガイドさんと御主殿跡に向かい、嫡男をよそにガイドさんと発掘調査中の史跡にワクワクしていました。



さて、ガイドさんのお勧めで帰りは大手道(古道)ではなく、御主殿の裏門である通称「台所門」から出て「あしだ曲輪」を経由して帰ることに。



 御主殿跡にはこんな古い石碑がありました。「史跡八王子城千畳敷」。ここら辺は史跡整備される前はただっ広い空き地だったようで、子どもたちの遊び場だったようです。全国の史跡の「千畳敷」には発掘調査をしたらかなり色々なものがでてくるかもしれませんね。



 御主殿の裏から出ると小高い土塁のようになっており、いきなり空堀があります。写真の中央には石垣が見えます。これは当時のものだそうですが、急な斜面のためどんどん崩落しているそうです。写真では見えませんが、奥に石垣がしっかり積まれている場所がありました。それは崩落の危険性から石垣を積みなおしたそうです。



ガイド「ほら!このへんは結構広い曲輪でしょ?古地図にはこの辺は『あしだ曲輪』とありますが、実際には曲輪が3段くらいの段々になっているんです。」

義綱「ガイドさん。これはもしかして枡形ですか?」
ガイドさん「これは違うんですよ。この辺りに昔観光旅館を作ろうって話があったみたいで、土地の所有者がいきなりダンプカーを入れていて、八王子城を守るために周辺住民が反対運動をして、なんとか旅館建設は撤回されたようです。きっとこの辺にも遺構がたくさんあったろうに…」



 この「あしだ曲輪」はかなり広い曲輪です。御主殿の近くの曲輪なので、家臣の屋敷跡や馬場などがあったのでしょうね。この曲輪には第二次世界大戦後に福善寺という寺が建てられたようで、108体の仏像を曲輪に安置したようです。現在では20体弱くらいしか残っていないようです。写真に見える円形のけもの道のようなものは、ガイドさんによるとイノシシが土を掘り返してミミズ食い荒らしている様子だそうです。イノシシのせいで仏の石像も倒れているものが数体ありました。




 ここ「あしだ曲輪」は昭和20年代には福善寺の境内だったということらしいです。だからこそ、こういう階段などが整備されているようです。八王子城公園の管理棟がある近くにある空橋に架けられたコンクリート製の橋も福善寺が当時につくったもののようです。



その福善寺はずいぶん前に廃寺になったようで、現在は誰も居住していない寺になっているそうです。福善寺は他の寺に吸収合併されているそうですが、その寺が遠くにあるためかほとんど管理はされていないようです。



 今まで御主殿跡しか行ってないかったので、ガイドさんのご協力がなければ「あしだ曲輪」の存在も、空堀に残っている石垣も発見できませんでした。ガイドさんありがとうございました。
 ゆっくり説明してもらったこともあり、9時30に八王子城を案内してもらって、終わって八王子城跡ガイダンス施設まで戻ってくる頃には11時30分。本丸まで登ると大人の足でも40分。夏なので嫡男を連れて登るには熱中症も心配。そういえばこの2時間何も飲み物を飲んでない…。ガイダンス施設の近くの自販機で飲み物を購入し嫡男に飲ませて、今回の八王子城訪問は終了。結局今回も御主殿地域中心で、要害地区(本丸を含んだ地区)には行けませんでした。また来年のお楽しみに取っておきます。