畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

八王子城in2013 其の2

2013-08-02 21:44:00 | 旅行・観光
嫡男といった八王子城訪問 in 2013の続きです。


(写真は2012年のものです)
いよいよ御主殿へ。今回のメインディッシュ!平面展示が見たい!で、ここでまたガイドさんがスーパーな情報を!
ガイド「今ちょうど発掘調査を行っているので、本物の遺構が見れますよ。」すっすばらしい!ではbefore→afterを見ていただきましょう。

タララララララ~(某番組の音楽のつもり)

(写真は2008年のもの)
「何もなくただの平原だった御主殿跡が…」

    ↓
    ↓
    ↓
タンタンタントゥルる~(某番組の音楽のつもり)

「なんということでしょ~。礎石や側溝がレプリカで復元され、会所跡が平面展示されました…」

って写真じゃあまり目立ちませんから、もっと各所の拡大を見てもらいましょう。

御主殿跡の全体図はこんな感じです。

 1992(平成4)年、1993(平成5)年の発掘調査で見つかった客を招いて宴会を行った「会所」と政治的な儀式などを行った「主殿」とみられる建物の礎石や道路状遺構や庭園状遺構。2012(平成24)年度からの整備で道路状遺構や庭園状遺構の遺構が復元され、「会所」「主殿」推定地は平面展示がされました。この図をみると御主殿跡の南東部がまったく遺構が見つかっておらず、発掘調査をしていないと私は落胆していたのですが、これもガイドの一言によって見事解決。「御主殿跡の南東部は遺構がでないのです。おそらく雨などで土砂崩れなどによってどんどん崩落していったと思われます。」なるほど、だから何も復元されないのか…納得。



 これは御主殿東北部の排水溝跡です。なかに黒い砂状のものが引いてあるのは、本物の排水溝はもっと深いらしく公園整備のためには危険と判断して深く見えるような工夫で再現してあるとか。なるほど。排水溝の奥の部分に暗渠になっている部分があります。石の橋があるところです。御主殿の東北部には台所門という門があったと伝承ではあります。この排水溝からも台所だったかもしれませんね。御主殿に会所や主殿があれば当然料理は必要なわけでこの曲輪のどこかに台所があったのは必須です。



 ここは先ほどの遺構から西隣りの遺構です。礎石に続いて小さな石が縦に並んでいます。建物を区切った塀の跡かもしれません。



 この写真の中央にある大きな礎石があるのが「主殿」と思われる建物の跡です。かなり大きい建物です。その奥に板基盤のようなものがあるのが「会所」跡です。右のオレンジの網のようなものが現在発掘されているところです。2013年現在発掘調査が行われているところは、御主殿の地図を見るとよくわかるのですが、「主殿」を分断していた未発掘調査のところです。ここは大きな杉の木が生えていて1992(平成4)年と1993(平成5)年には発掘調査ができなかった地ですが、ガイドさんによると「急遽文化庁のOKが出た」とのことで、急遽発掘調査を行ったということらしいです。



 主殿の北部には、左右を石列で囲まれた土の道路があったようです。幅は4.2mとなかなか大きな道路で、道の中央が高くなることで、左右に排水していたようで考えられた道路のようです。主殿から続く道路ですから「常の御所」(主人が普段生活する場)に繋がっていたのかもしれません。道路の長さがわずか7mほどしかないのですが、現在この北部は土砂がかぶっており、発掘調査できない状況だそうです。



ここが発掘調査が行われているところです。左奥が大きな杉の木があったところです。奥の右側にある茶色いところは掘立柱建物跡です。主殿の近くにあるものだから倉庫かなにかでしょうね。

おお!これが本当の遺構!こんな深いところにあるんですね。60cmくらいかさ上げされていますね。確かに上に再現されている石は似たような石を持ってきていますね。再現度高い!


 でここでまたゴッドのガイドさんの特別な一言。
ガイド「それだけ歴史に興味があれば、本来は難しいのですが、発掘調査のところを少し間近で見てもらいましょうか!」
義綱「ほっほんとですか?」


 庭園状遺構を間近で見せてもらいました!すっすごい。この庭園にある川のようなものの中にある小石。これ本当に発掘調査でも小石が見つかっていたんですね。発掘調査している地点から、復元地区に繋がっている!ステキ!

そして、庭園状遺構にあるこの巨石!見覚えがある!これは…

(写真は2008年のもの)
2008年時にみつけて、「これだけ大きな石となると発掘調査後にわざわざ持ってきたとは考えられません。ということは発掘調査の時もあった大石ということになります。そして地表にでるくらいのこんな大きな石。形状からいっても建物などの礎石とは到底考えられません。となると、私の最近大好きな武家庭園?」と推察したものです。これが発掘調査によってちゃんと庭園に戻るんですね…ちょっと考え深いな…。

これが発掘調査時の庭園状遺構の様子。これが…

このように復元されました。芝生が生えているのがちょっと景観を損ねますが…新しく発掘調査した地点と合わせてより庭園らしくしてほしいな…なんて思います。



これが「会所」の平面展示です。平面展示には「主室」などと居室も表示されています。

これもガイドさんが平面展示の図のファイルを見せてくれました。八王子城は落城する際に豊臣方に放火されたため、発掘された礎石から柱になった木の焦げ跡が残っているそうで、その焦げ跡の大きさから柱の大きさを推定でき、おおよその間取りがわかるのだと教えてくれた。おそるべき考古学!


八王子城ガイダンス施設ではCGで会所と主殿を復元した画像が見れます。

ぜひぜひ立体復元してほしかったな~。



会所の南には石敷きの道路があります。これも発掘調査で出土したものだそうです。

会所の南西にはまた土の道路があります。

これで現在はまだ発掘されていない西側に通じていたものだと思われます。


しかし気になるのは会所の南側。

 会所の南側の石敷き道路のさらに南側。土塁との間には排水溝となぜか礎石が2列ならんでいる。東側には塀の跡があり、会所の南側が囲まれていることになる。ガイドさんはここでなにか能だとか猿楽とかの見学をしたのではないか?と言っていた。



 そしてここが土砂崩れで遺構がでてこないところ。何があったのかな?それとも雨のために流されるので、御主殿の中でも建物が立てにくく馬屋などの簡易的な建物しかなかったのかもしれない。



 主殿の南になにやら枯山水の池のようなものが。ここはハレの空間(人をもてなすための空間。対義語はケの空間で普段の生活の場)なので、細やかな演出がなされていたのでしょう。



 御主殿の最後。ここは御主殿の南側土塁。この下が…

曳き橋から虎口のゾーンです。で、ガイドさんはこの土塁の幅が狭すぎて「武者走り」の場所がないと疑問を呈していました。つまりここ御主殿は守りの要なわけで武士が登って弓や鉄砲などの武器で攻撃側を撃退するわけなのに、もし板塀があれば武士が入る隙間がない。そこで、3段の石垣を築いて斜面がもっと直角な角度だったと推察されたという。なるほど…理にかなっている。むうさすが八王子城好きで調べている人だ!知識の深さに脱帽。


 で、最初の八王子城公園管理棟(入口)まで戻るのですが、ガイドさんが「せっかくだから御主殿から台所門を通って違うルートで帰りましょう。そこにも曲輪がありますよ」というのでワクワク。この時点ですでに我が嫡男は歴史を調べるというより公園に来てただはしゃいで遊んでいるだけ。私の方が熱心に質問タイム(笑)


 八王子城訪問記其の3に続く。(明日アップできるかどうか不明です。仕事がちょっと多くて…すみません)