このように囃子方の「お調べ」のあとに楽屋で「盃事」が行われるため、普段上演される他の曲の場合と違って、楽屋からお囃子方の「お調べ」の音が響いてきても、その後なかなか囃子方が橋掛りに登場して来ず、しかも長い時間の後に唐突にシテが登場する。。お客さまには『翁』は意外に見えるでしょうね。
かくして『翁』では、「盃事」を終えた演者一同が、面箱を先頭にしてしずしずと行列が橋掛りを進んで行きます。「千歳」は舞台常座に出て平伏し、「三番叟」以下の役者は橋掛りにて下に居て待機します。このとき素袍を着ている諸役=すなわち囃子方・後見・地謡=は身体の前で両手を組んでいます。これも普段の服装の場合とは違う点ですね。囃子方はこういう姿勢を取ることで、なぜか楽器を隠すような格好になります。意図的にそうなっているのか。。ぬえは真相は存じませんが。。ちなみに列の後方にいる地謡はこのときはまだ楽屋の中。舞台上で行われている事はまったく見えません。(^^;)
登場した「面箱持ち」はやがて角まで出て下に居、シテが=「大夫」と呼ぶべき威厳を備えて=これに続いて正先まで出て、ここで両手を床に付けて正面に向かって拝礼をします。このときシテは「五穀豊穣・国家安寧」の祈祷を心の中で祈念することになっていますが、「法会之式」のときにはどうなるのか。。小書によってこういう点に何か変化があるのかもしれませんが、さすがに ぬえにもシテの心中までは推し量ることはできません。
ご祈祷を終えたシテは左に取って笛座の前に至り、ここで正面に斜に向いて着座します。このときシテはわざと膝で音をたてて着座した事を知ラセ、これをキッカケにして「面箱持ち」はシテに向き直り、立ち上がって面箱を高く捧げてシテの前に至ります。「面箱持ち」はシテの前に着座して面箱をシテの前へ置くと、これをシテの方へそっと押しやり、シテはよろしき位置に面箱が進められたときに扇でこれを制します。
面箱を置く位置を定めた「面箱持ち」は、これにて舞台序盤の仕事を終えて大きく脇座の方へ向き直り、袖さばきをしてから立ち上がります。このとき、これに合わせて「千歳」「三番叟」以下、橋掛りに控えていた役者は全員立ち上がって所定の位置に進みます。つまり「面箱持ち」は脇座より少し低い位置へ、「千歳」はこれを追い越して脇座へ、「三番叟」は常座へ進み、この3つの役は舞台上で両手をついて畏まっています。
続いて囃子方は順次後座に進み、シテ方の後見は囃子方の後方を通ってシテの後ろにつき、狂言方の後見は後見座(普段の能でシテ方の後見が座る位置)につき、最後に地謡は囃子方の後方に着座します。
細かい点になりますが、このときも いろいろと作法があるのです。まず囃子方・後見・地謡は、本来の作法としては舞台の定位置につく前、シテ柱の下で一人ずつ正面に向いて片膝をついて「拝」をする事になっています。つまり橋掛りから舞台に入るとき、後見座の前で正面に向いて一歩進み、片膝をついて正面に軽く頭を下げて、さて左に向いて立ち上がって所定の位置につくのです。ところがこの作法、もう現在ではほとんど省略されてしまっています。諸役が所定の位置についてから囃子方が演奏を始めるまでが、じつは大忙しの作業があるので(後述)、便宜的に略されてしまったものでしょう。ぬえがこれを最後に行ったのは、もう10年近く前なんじゃないかなあ。。ぬえはこういうところは守っていきたいと思うのだけれども。。
それから、シテ方の後見もこのときにちょっと変わった事をします。橋掛りに登場したとき、シテ方の後見は、当然ながら主後見が先、副後見があとに並んでいます。ところが諸役が所定の位置につくとき、副後見は自分の前を歩む主後見を追い越すのです。普段の能の場合に後見座に後見が着座しているとき、見所から見れば向かって右が上席ということになっていて、ここに主後見が着座し、副後見は(見所から向かって)その左側に座るのです。『翁』の場合も主後見が先を歩み、副後見がそれに続くそのままの形で定位置に行って着座すれば、自然に主後見=向かって右、副後見=左、になるのですが、じつは『翁』に限って、後見二人の席次が他の能とは逆になるのです。つまり主後見が見所から見て左側、副後見が右側になります。その理由は至って明解で、その方が主後見が作業がしやすいから、なんですけどね。
かくして『翁』では、「盃事」を終えた演者一同が、面箱を先頭にしてしずしずと行列が橋掛りを進んで行きます。「千歳」は舞台常座に出て平伏し、「三番叟」以下の役者は橋掛りにて下に居て待機します。このとき素袍を着ている諸役=すなわち囃子方・後見・地謡=は身体の前で両手を組んでいます。これも普段の服装の場合とは違う点ですね。囃子方はこういう姿勢を取ることで、なぜか楽器を隠すような格好になります。意図的にそうなっているのか。。ぬえは真相は存じませんが。。ちなみに列の後方にいる地謡はこのときはまだ楽屋の中。舞台上で行われている事はまったく見えません。(^^;)
登場した「面箱持ち」はやがて角まで出て下に居、シテが=「大夫」と呼ぶべき威厳を備えて=これに続いて正先まで出て、ここで両手を床に付けて正面に向かって拝礼をします。このときシテは「五穀豊穣・国家安寧」の祈祷を心の中で祈念することになっていますが、「法会之式」のときにはどうなるのか。。小書によってこういう点に何か変化があるのかもしれませんが、さすがに ぬえにもシテの心中までは推し量ることはできません。
ご祈祷を終えたシテは左に取って笛座の前に至り、ここで正面に斜に向いて着座します。このときシテはわざと膝で音をたてて着座した事を知ラセ、これをキッカケにして「面箱持ち」はシテに向き直り、立ち上がって面箱を高く捧げてシテの前に至ります。「面箱持ち」はシテの前に着座して面箱をシテの前へ置くと、これをシテの方へそっと押しやり、シテはよろしき位置に面箱が進められたときに扇でこれを制します。
面箱を置く位置を定めた「面箱持ち」は、これにて舞台序盤の仕事を終えて大きく脇座の方へ向き直り、袖さばきをしてから立ち上がります。このとき、これに合わせて「千歳」「三番叟」以下、橋掛りに控えていた役者は全員立ち上がって所定の位置に進みます。つまり「面箱持ち」は脇座より少し低い位置へ、「千歳」はこれを追い越して脇座へ、「三番叟」は常座へ進み、この3つの役は舞台上で両手をついて畏まっています。
続いて囃子方は順次後座に進み、シテ方の後見は囃子方の後方を通ってシテの後ろにつき、狂言方の後見は後見座(普段の能でシテ方の後見が座る位置)につき、最後に地謡は囃子方の後方に着座します。
細かい点になりますが、このときも いろいろと作法があるのです。まず囃子方・後見・地謡は、本来の作法としては舞台の定位置につく前、シテ柱の下で一人ずつ正面に向いて片膝をついて「拝」をする事になっています。つまり橋掛りから舞台に入るとき、後見座の前で正面に向いて一歩進み、片膝をついて正面に軽く頭を下げて、さて左に向いて立ち上がって所定の位置につくのです。ところがこの作法、もう現在ではほとんど省略されてしまっています。諸役が所定の位置についてから囃子方が演奏を始めるまでが、じつは大忙しの作業があるので(後述)、便宜的に略されてしまったものでしょう。ぬえがこれを最後に行ったのは、もう10年近く前なんじゃないかなあ。。ぬえはこういうところは守っていきたいと思うのだけれども。。
それから、シテ方の後見もこのときにちょっと変わった事をします。橋掛りに登場したとき、シテ方の後見は、当然ながら主後見が先、副後見があとに並んでいます。ところが諸役が所定の位置につくとき、副後見は自分の前を歩む主後見を追い越すのです。普段の能の場合に後見座に後見が着座しているとき、見所から見れば向かって右が上席ということになっていて、ここに主後見が着座し、副後見は(見所から向かって)その左側に座るのです。『翁』の場合も主後見が先を歩み、副後見がそれに続くそのままの形で定位置に行って着座すれば、自然に主後見=向かって右、副後見=左、になるのですが、じつは『翁』に限って、後見二人の席次が他の能とは逆になるのです。つまり主後見が見所から見て左側、副後見が右側になります。その理由は至って明解で、その方が主後見が作業がしやすいから、なんですけどね。