ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

研能会初会(その11)

2007-02-14 01:03:21 | 能楽
「翁」が終わって千歳とともに幕へ引くとき(これを「翁帰り」と称します)、小鼓方は タ、ポポ、ポ という粒の手を静かに打ち続けます。このとき小鼓方の後見のもっとも大切な役目があります。

この小鼓の手は、地謡が『翁』の最後の詞章~「萬歳楽」~を謡い終わるとすぐに打ち始められます。最初は非常にゆっくりと打たれるのですが、その間に「翁」は面箱の前に静かに歩み下に居、面紐をみずからほどいて「白式尉」の面を面箱の上に置き、再び舞台の中央へ向き直って立ち上がり、斜に出ると舞台の中央から正先へ出、そこで両袖をさばきながら正面へ着座して両手をつき、『翁』の冒頭とまったく同じ作法で深々と正面へ拝をします。このとき小鼓の幸流と幸清流では掛け声を掛けますね。これについては後日詳述したいと思います。

拝を終えた「翁」は膝を立て替えて橋掛りの方へ向き、立ち上がります。このとき「千歳」も同時に立ち上がり、二人は静かに歩み出します。橋掛りに至り、ここで段々と運ビが急調になって、最後はすこし小走りのような感じに「翁」と「千歳」は幕に入ります。この退場のしかたも『翁』独特のものですね。

さて、ここまでずうっと、小鼓は同じ手を打ち続けておられるのです。かなり長大な時間が掛かりますので、最初はぐっと静かに打ち、「翁」が拝を終えて立ち上がり、橋掛りに向かうあたりから、まるで「翁」の運ビの変化と呼応するように、だんだんと小鼓も手を打つスピードを上げてくるのです。「翁」が幕に入ったあたりではかなりのスピードになっているのですが、「翁」が幕に入ると頭取が左右の脇鼓に「知セ」の手を打って合図を送り、これをキッカケにトメの手を打って「翁」は終了することになります(ほんの短い時間をおいて、すぐに引き続いて「三番叟」の「揉み出し」となります)。

この小鼓の頭取の「知セ」ですが、『翁』の場合では、どの小鼓のお流儀でも、頭取だけが前述の手を打つことを、一度だけ突然休むことで「知セ」としておられるように思います。少なくとも ぬえが習った幸流ではそうなのですが、舞台上で拝見しているかぎり、どのお流儀も同じ「知セ」であるようです。

問題はこの「知セ」を打つ頭取が、「翁」が幕に入ったところが見えない、という事なのです。首を曲げて幕の方を見やっても、そこには脇鼓が邪魔をして幕は見えないし。そこで、頭取の後ろに座る後見が、そっと頭取の背中をつついて、「翁」が幕に入ったことを「知セ」るのです。頭取が脇鼓に指揮をして「知セ」を打つのですが(『翁』の場合は、むしろ「打たない」と言った方が正確ですが)、じつはその「知セ」は後見の「知セ」があって始めて行えるワケで、いわば「翁」の終了の最後のキッカケは、じつはこの後見が出しているのです。

「知セ」ということ、じつは舞台の上ではたくさん行われています。身近なところでは。。そうだなあ。。家々によって違いはあるだろうけれど、たとえば『菊慈童』や『景清』のシテの第一声は、後見(もちろんこの場合はシテ方の後見)の「知セ」をキッカケにしてシテが謡い出します。これらの曲では、登場したワキやツレが「道行」を謡い、「これははやしかじかの所に着きて候。しばらくこの所に逗留し、事の由をも伺はばやと思ひ候」というような「着きゼリフ」を謡って脇座に行き、そこに控えたところで おもむろにシテが謡い出すのですが、作物の中にいるシテには、ワキやツレが脇座に着いたのが見えないのです。足音。。と言っても運ビだから裾捌きの音を頼りにするほか致し方なく、面や鬘を着けているシテにはそれさえも充分には聞き取れません。そこで、このときは作物の後ろに後見が控えて、作物の陰から様子を窺って、ワキなりツレが脇座に控えたところで そっとシテの背中を押して「知セ」を送るのです。こういう事は意外に知られていない事かもしれませんね。