ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

研能会初会(その12)

2007-02-16 12:58:47 | 能楽
話題がまたまた脱線気味で… (^◇^;)

さて囃子方が座付き、笛が「座付き」を吹いている間に小鼓方は床几に掛けて素袍を抜いて道具を構え、大鼓方(と、『翁付』のときは太鼓方も)は小鼓のつぎに座付き、こちらは正面に向いて控えています。

一方、このときシテ方の後見は囃子方の後方を通って笛座の前の「翁」のすぐ後ろに付いて着座し、狂言方の後見は後見座(常の能でシテ方の後見が座る位置)に着座します。さらに地謡も囃子方の後方に着座します。

このあたりもまた、普段の能とは大いに異なる場面がたくさんあります。

たとえば手の組み方。素袍を着た地謡や後見は、扇を構えて謡っているとか なんらかの作業を行っている時を除けば、必ず両手を身体の前で重ねているのですが、面白いことに、どちらの手を上にして重ねるかが、舞台の進行につれて変わるのです。

現在の ぬえの師家では、後見や地謡が橋掛りに登場する『翁』の冒頭の場面では、左手を下にして、その上に右手を重ねています。ところが囃子方の後方に着座して扇を置くと、今度はさきほどとは反対に、右手を下にして、左手をそれに重ねるのです。

これもねえ。 ぬえの師家では現在は上記の作法で行っているけれど、その理由は「囃子方がそういう作法で登場しているから」という、非常に曖昧なもの。たしかに囃子方は道具を左手に持って舞台に登場するから、必然的に左手が下になり、右手をその上に重ねることになります。しかし、ぬえは20年前にはたしかに囃子方のは逆の手を重ねて舞台に出た、という記憶があるのです。。

あるいは ぬえの記憶違いかもしれません。でも、こういう些末な事柄から伝承というものは変化していくもので、あるいはそれが大きな崩壊の、最初の一歩になったりする事もあるんですよねえ。大げさに聞こえると思いますが、そういう事は本当にあると思う。こういう細かいところは伝書などにも書いてありません。「両手ヲ前ニテ組ミテ橋掛リニ順ニ居並ビ…」などと書いてあるのがせいぜい、といったところでしょう。だからこそ「口伝」が重要な意味を持つのです。いや、『翁』の型付けは拝見したことがないので、どう書いてあるのか断言はできないのですが。。

この「伝承の変化」という話題は微妙で、先日もほかの会の能楽師と「翁飾り」の変化について話していて、伝承というものの「危うさ」を感じました。それもご紹介しようと、何度か下書きをしたんですが。。やめておく事にしました。ぬえの師家の話題ではないですから、不用意に論評するべきではないでしょう。

さて囃子方の後方に地謡は着座するのですが、じつはこのとき、地謡は正面に向いて着座しているのではありません。微妙に右(角柱の方)へウケて座るのです。先日の研能会では『翁付』のため地謡も二列八人登場していましたし、囃子方の後見もありますから、広い後座を持っている観世能楽堂の舞台でも、地謡はかなり窮屈な思いをして座りました。

着座した地謡は、扇を腰から抜いて前へ置き、さきほど橋掛りに登場したのとは逆の組み方で両手を身体の前に組み、端座しています。