最近は昼間は暖かいけれど寒い夜が続いて。マリカ姫もこのところ毎夜おフトンの中にもぐり込んでいらっしゃいます~(#^^#) ああ、よかった。
さて研能会初会。
『翁』で「面箱持」が面箱を「翁」の前に置くと、すぐに「面捌き」をします。面箱の蓋を開けてその中から白式尉の面を取り出すのですが、このとき面箱を結わえてある房紐は特殊な結び方をしてあるのです。これは「面箱持」が面箱の蓋を開けるときには、左手で箱を押さえておくので、右手だけしか使えないためで、「面箱持」はこの房紐をほどくのではなく、右手で上に引き上げるだけで紐が緩むようになっています。
この結び方はシテ方が楽屋で行うのですが(三番叟がお使いになる黒色尉の面と鈴はあらかじめ楽屋でお狂言方よりお預かりしておきます)、なんせ『翁』という曲を上演するのはたいてい年始の初会のただ1回だけなので、ややもすると結び方を忘れてしまって、楽屋の中で「ああでもない、こうでもない。。」という悩みが始まったりもします。(^^;) ぬえもずいぶんこの結び方では悩みましたが、いまは慣れて、いつでも結ぶことができます。
さて「面箱持」は面箱の蓋を裏返して左手で支え、箱の中から右手で白式尉の面を取りだすと、これを裏返した蓋の上に乗せ、面紐を捌いて、蓋を面箱の上にキチンと置いて、これでようやく面箱持ちとしての作業を終えるのです。
これより演者一同は(本来は拝を行って)所定の位置に進んで着座します。「翁」「千歳」「面箱持」「三番叟」という装束を着けた役者を別にすれば、最初に位置に着くのは囃子方で、しかも笛方は座付くや否や、すぐに「座付き」という譜を吹き始めます。笛方に遅れて着座する小鼓方は、これはもう大忙しで演奏の準備に取りかかります。道具を置き、扇子を抜いて置き、床几に掛かり、すぐに素袍の両肩を脱いで鼓を手に取り、右肩に上げる演奏の体勢にならねばなりません。しかもお笛は「座付き」を吹ききるとすぐに「ヒシギ」という、常の能でも多くの場合上演の最初に吹かれる甲高い「ヒーーーー、ヤーーーアーーーー、ヒーーーーー!」という短い譜を吹き、これの直後に小鼓は間髪をおかずに打ち出さなければならないのです。お笛は素袍の肩を脱がず、着座して腰から扇子を抜いて右横に置くとすぐに笛を抜き持って「座付き」を吹き始めるので、床几に掛かり素袍の肩を脱ぐ小鼓方は大変な忙しさで準備に取りかかるのです。これでは「拝」を省略した気持ちもわかるなあ。。
ちなみに大鼓方は「翁」の間は打たず(厳密には「座して居たれども、参らうれんげりやとんどや」のところで短い調ベを打ちますが)、「三番叟」になってから打ち始めるので、小鼓が大忙しで用意をされている間に悠然と着座します。いま、ふと気が付いたのですが、このとき大鼓方は横を向いて着座されますね。能で囃子方が横向きに着座するのは、舞台に登場した冒頭のほんの短い時間と、中入の間(ただし「語り間」でない場合は大小鼓は床几から下りないので、着座もしない)、そして能が終わってシテが舞台から出る(シテ柱を越える)とき。。つまり横向きに着座している間は、「クツログ」と言って、囃子方は「参加していない」というか「その場には無関係」というような意味合いになるのです(ちょっとうまい表現が見つからないが、誤解を恐れずに言えばそういう事だろうと思います)。
上演中にクツログ曲はほかにあるだろうか。。というと、じつは案外あるものでして、『松風』だけはロンギが終わると(シテは目の前で上演中であるのに)大小鼓は床几を下りてクツロギますし、『道成寺』の乱拍子の部分では、葛野流の大鼓は床几を下りてクツログ事になっています。『翁』で大鼓がクツログのは、この『道成寺』の乱拍子の場合と意味合いとしては近いのでしょうね。
さて研能会初会。
『翁』で「面箱持」が面箱を「翁」の前に置くと、すぐに「面捌き」をします。面箱の蓋を開けてその中から白式尉の面を取り出すのですが、このとき面箱を結わえてある房紐は特殊な結び方をしてあるのです。これは「面箱持」が面箱の蓋を開けるときには、左手で箱を押さえておくので、右手だけしか使えないためで、「面箱持」はこの房紐をほどくのではなく、右手で上に引き上げるだけで紐が緩むようになっています。
この結び方はシテ方が楽屋で行うのですが(三番叟がお使いになる黒色尉の面と鈴はあらかじめ楽屋でお狂言方よりお預かりしておきます)、なんせ『翁』という曲を上演するのはたいてい年始の初会のただ1回だけなので、ややもすると結び方を忘れてしまって、楽屋の中で「ああでもない、こうでもない。。」という悩みが始まったりもします。(^^;) ぬえもずいぶんこの結び方では悩みましたが、いまは慣れて、いつでも結ぶことができます。
さて「面箱持」は面箱の蓋を裏返して左手で支え、箱の中から右手で白式尉の面を取りだすと、これを裏返した蓋の上に乗せ、面紐を捌いて、蓋を面箱の上にキチンと置いて、これでようやく面箱持ちとしての作業を終えるのです。
これより演者一同は(本来は拝を行って)所定の位置に進んで着座します。「翁」「千歳」「面箱持」「三番叟」という装束を着けた役者を別にすれば、最初に位置に着くのは囃子方で、しかも笛方は座付くや否や、すぐに「座付き」という譜を吹き始めます。笛方に遅れて着座する小鼓方は、これはもう大忙しで演奏の準備に取りかかります。道具を置き、扇子を抜いて置き、床几に掛かり、すぐに素袍の両肩を脱いで鼓を手に取り、右肩に上げる演奏の体勢にならねばなりません。しかもお笛は「座付き」を吹ききるとすぐに「ヒシギ」という、常の能でも多くの場合上演の最初に吹かれる甲高い「ヒーーーー、ヤーーーアーーーー、ヒーーーーー!」という短い譜を吹き、これの直後に小鼓は間髪をおかずに打ち出さなければならないのです。お笛は素袍の肩を脱がず、着座して腰から扇子を抜いて右横に置くとすぐに笛を抜き持って「座付き」を吹き始めるので、床几に掛かり素袍の肩を脱ぐ小鼓方は大変な忙しさで準備に取りかかるのです。これでは「拝」を省略した気持ちもわかるなあ。。
ちなみに大鼓方は「翁」の間は打たず(厳密には「座して居たれども、参らうれんげりやとんどや」のところで短い調ベを打ちますが)、「三番叟」になってから打ち始めるので、小鼓が大忙しで用意をされている間に悠然と着座します。いま、ふと気が付いたのですが、このとき大鼓方は横を向いて着座されますね。能で囃子方が横向きに着座するのは、舞台に登場した冒頭のほんの短い時間と、中入の間(ただし「語り間」でない場合は大小鼓は床几から下りないので、着座もしない)、そして能が終わってシテが舞台から出る(シテ柱を越える)とき。。つまり横向きに着座している間は、「クツログ」と言って、囃子方は「参加していない」というか「その場には無関係」というような意味合いになるのです(ちょっとうまい表現が見つからないが、誤解を恐れずに言えばそういう事だろうと思います)。
上演中にクツログ曲はほかにあるだろうか。。というと、じつは案外あるものでして、『松風』だけはロンギが終わると(シテは目の前で上演中であるのに)大小鼓は床几を下りてクツロギますし、『道成寺』の乱拍子の部分では、葛野流の大鼓は床几を下りてクツログ事になっています。『翁』で大鼓がクツログのは、この『道成寺』の乱拍子の場合と意味合いとしては近いのでしょうね。