ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

研能会初会(その15)

2007-02-26 01:55:14 | 能楽
うう~。。二日間ブログの更新をしてないのに、アクセス数を見たら664もある。。日常的な事ばかり書き散らしてますのに。。もっと面白い事を書ければいいんだけど。。ゴメンなさいです~~(;_:)

そしてまた、『翁』に登場する演者の装束の話の続きです。。
翁狩衣→狩衣→直垂→素袍、まで説明が進んだので、長裃、半裃、紋付袴まで話題を進めちゃえ。

裃にはズルズルと長い袴を引きずって歩く「長裃」と、普通の袴と同じ寸法の短い袴の「半裃」があります。普通に「裃」と言った場合はこの「半裃」を指していて、これは正月の初会とか、特別な催し、たとえば別会とか追善能、祝賀能のような場合に囃子方・後見・地謡が揃って着用します。「長裃」は、とくに曲柄が重い能が上演されるときに、同じく囃子方・後見・地謡が揃って着用します。

このように「長裃」も「半裃」も、囃子方だけが着る、とか後見だけが着るという事はなくて、着る場合にはあらかじめ申し合わせておいて、囃子方・後見・地謡がみんな統一して同じものを着るのです。もっとも長裃の場合は、地謡がみんな長裃を着ると地謡座がとても窮屈になってしまうので、近来は囃子方・後見が長裃を着る場合でも、地謡は半裃で勤める場合がほとんどです。

「長裃」を着る重い能とはどんな曲でしょうか。これは重習として扱われる曲で、『猩々乱』から始まり、『石橋』『望月』『道成寺』『恋重荷』『鷺』、そして『卒都婆小町』や『木賊』より奥の老女物などがこれに当たります。もっとも『砧』『求塚』『木曽』『正尊』『安宅』などは上演頻度が高いためか、最近は「半裃」を着たり、いや、袴で勤める事も多くなってきました。また「曲に貴賤はない」という考え方から、(共演する囃子方の同意が得られれば、ですが)極端に重い曲以外ではあまり裃を着ない会もあるようです。

もうひとつ、普段は重習の曲ではないけれど、小書によって ぐっと重く扱われる能もあります。『高砂・八段之舞』、『融・十三段之舞』、『三輪・誓納』、『三輪・白式神神楽』、『安宅・延年之舞』、『屋島・弓流』、『小鍛冶・重キ黒頭』、「平調返」や「甲之掛」(『江口』『采女』『野宮』『楊貴妃』の小書)、「素囃子」(『杜若』『三輪』の小書)、「素働」(『賀茂』『鞍馬天狗』『屋島』の小書)などがそれで、そのほかにも笛方の重習曲『清経・恋之音取』、太鼓方の重習の『朝長・懺法』などもこれに含まれ、いずれも囃子方・後見は「長裃」を着ます。

『翁』の出演者は裃よりも上位の素袍を着ているので、裃とは無関係のようですが、じつは裃を着た出演者が『翁』にも登場しているのです。それは。。囃子方の後見。前述したとおり、とくに大小鼓が床几に掛けるときに、素袍をさばくために後見が必要で、彼らは橋掛りから登場した囃子方が所定の位置に着いた瞬間に、切戸口から電光石火の如く登場して、すぐに囃子方のすぐ後ろに座ってしまうから、見所からは囃子方が着る大きな袖の素袍に隠れてほとんど見えない事と思います。

囃子方の後見は普段は舞台には登場しません。これが登場するのは曲が重習の場合だけで、これは大事な上演曲の場合に、万が一の事故が起こっても確実にフォローする、という意味合いがあるでしょうから、舞台上では(事故が起きないかぎり)何も仕事がなくても、シテ方の後見と同じく欠くべからざる役、と言うことができます。しかし実情として舞台にはほとんどの場合囃子方の後ろには「後見」のような人が座っています。これは大小鼓が床几に掛けるときに世話をしたり、大鼓の革の調子が時間とともに下がってきたときに、中入などの機会を窺って、新しく革を焙じた鼓と取り替えたり、といった仕事をする人で、厳密には「楽屋働き」と呼ばれ、「後見」とは区別されます。(しかし、太鼓方は本来、本役が自分で太鼓を台に掛けるのではなく、その役は太鼓方の「後見」が行うことになっていたり。囃子方にとっての「後見」と「働き」の差は、あまり厳密ではないとも言えますが)。

面白いのは、「後見」にせよ「働き」にせよ、囃子方の後ろに座って補佐するこの役目の人は、本役の囃子方よりも「一ランク下位の服装をする」という定めがあることです。曲目が重習で本役が長裃の場合は後見や働きは半裃を着、催しが特別で出演者全員が半裃を着る場合には、彼らは裃を着ずに袴で登場するのです。