ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その10)

2010-07-04 21:08:24 | 能楽
ワキとワキツレは大小前で向き合って下居、素袍の左肩を入れます。それまで素袍の肩を脱いでいたのは、櫂棹を持って舟を漕ぐための便で、ここで肩を入れることによって船出は一時中断、ということになります。

ここで二人の人商人は、少女を居士に引き渡さなければならないと譲歩しますが、その返報に居士に対して意趣返しをすることを談合します。

ワキ「さて何と候べき。
ワキツレ「我等の存じ候は。居士は舞の上手の由申し候。舞を御所望候ひて。その後散々になぶつて。かの者を御返しあれかしと存じ候。
ワキ「さあらば散々になぶつて返さうずるにて候。


ちょっとした事ですが、このへんのワキとワキツレとの相談も、ワキのお流儀により微妙に内容が違います。観世流の謡本によれば次のような やりとりになっています。

ワキ「さてこれは何と仕り候べき
ワキツレ「これは御返しなうては叶ひ候まじ。よくよく物を案じ候に。奥より人商人の都に上り。人に買ひかねて。自然居士と申す説経者を買ひ取り下りたるなんどと申し候はば。一大事にて候程に。御返しなうては叶ひ候まじ。
ワキ「我等もさやうに存じ候さりながら。ただ返せば無念に候程に。色々に嬲って返さうずるにて候
ワキツレ「尤も然るべう候


この観世流の文言は、威勢を張った猛々しい人商人が体面を気にする様子が垣間見えて面白いですね。また居士に舞を舞わせようというアイデアを出すのも下懸リ宝生流ではワキツレであるのに、観世流の本文ではワキであったりと、微妙な違いを見せています。

さて相談がまとまると、ワキは角の方へ出てシテに向かって声を掛けます。(これにてワキツレの仕事は終わり、以後は脇座の下に端座します)

ワキ「いかに居士舟より御上り候へ。
シテ「いやいや聊爾には下りまじく候。
ワキ「船頭の陸に候うへは。何の聊爾の候べき。ただ御上がり候へ。


船頭が陸に上がっているのだから居士を残して舟が出ることはない、だから居士も舟から下りて、広いところで話をしよう。こういう論理であれば、何か企みがあることは居士も気づいたでしょう。しかし少女を返してもらうためには人商人と交渉しなければならない。今度はまんまと人商人の計略に乗らざるを得ない居士。だんだんと人商人のペースになっておきます。

ちなみにこのワキの言葉、観世流の本文では「何の聊爾の候べき、ただ御上り候へ」というだけですね。これは下懸リ宝生流の本文が優れていると思います。

シテ「あゝ船頭殿の御顔の色こそ直つて候へ。
ワキ「いやいやちつとも直らず候。またこれなる船子の申し候は。居士は舞の上手の由申し候。舞を舞うて御見せ候へ。


このワキを小馬鹿にしたようなシテの言葉! 罠が待ち受ける陸に上がった居士が、せめてもワキをからかってみた、という風情。ぬえが『自然居士』の中で最も好きなやりとりです。

これに答えるワキの言葉は、からかわれて赤面し、また憤慨しての言葉でしょう。

…と、ぬえもずうっと思いこんでいました。ところが何年か以前に、宝生閑師が勤められたこのお役を拝見した ぬえはビックリ。それとはまったく違った演じ方だったのです。