ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その15)

2010-07-10 23:55:47 | 能楽
シテ「そもそも舟の起を尋ぬるに。みなかみ黄帝の御宇より事起つて。
地謡「流れ貨狄が謀より出でたり。
シテ「こゝに又蚩尤といへる逆臣あり。
地謡「彼を亡ぼさんとし給ふに。烏江といふ海を隔てゝ。攻むべき様もなかりしに
(とワキへ向き)
地謡「黄帝の臣下に。貨狄と云へる士卒あり。
(と左足拍子)ある時貨狄庭上の。池の面を見渡せば(と右を見渡し)。折節秋の末なるに(と正ヘ出)。寒き嵐に散る柳の一葉水に浮みしに(とサシ込ヒラキ、左足拍子)。又蜘蛛といふ虫(と右跡へ小さく廻り)。これも虚空に落ちけるが(とサシ込ヒラキ)その一葉の上に乗りつゝ(と正先へノリ込右足拍子)。次第々々にさゝがにの(と少し下がり扇にて前の下をサシ)いとはかなくも柳の葉を(と角へ行き右へ小さく廻り正ヘ直し)。吹きくる風に誘はれ。汀に寄りし秋霧の(と中へ廻り正ヘサシ込ヒラキ)。立ちくる蜘蛛の振舞実にもと思ひそめしより。工みて舟を造れり(と左右打込ヒラキ)。黄帝これに召されて(と大きく体を直し)烏江を漕ぎ渡りて(と右へ廻り大小前へ至り)蚩尤を安く亡ぼし(と正ヘ出サシ込ヒラキ)。御代を治め給ふ事(とサシ廻シヒラキ)。一万八千歳とかや(と打込扇を開き)
シテ「然れば舟のせんの字を
(と上扇)
地謡「公にすゝむと書きたり
(と大左右)。さて又天子の御舸を龍舸と名づけ奉り(と正先へ打込)。舟を一葉と云ふ事(とサシ廻シヒラキ)この御宇より始まれり(と常座へ廻り正ヘサシ)。又君の御座舟を(と角にてカザシ扇)。龍頭鷁首と申すもこの御代より起れり(と大小前にて左右、ワキへ向きトメ)

さてここに語られる内容ですが、黄帝(こうてい)が蚩尤(しゆう=謡の発音ではシイウ)と戦いをしたとき、烏江(おうこう)を隔てて攻めあぐねていると、黄帝の臣下の貨狄(かてき)という者が、庭の池の上に柳の葉が落ち、それに蜘蛛が乗っているのを見て舟を考案し、この発明によって黄帝は烏江を渡って蚩尤を滅ぼし、そののち御代を治めること一万八千年に達した、というものです。

舟の起源というからには遙かな太古の話であることは容易に想像がつきますが、しかしこのお話は中国の伝説なのです。黄帝は三皇五帝と呼ばれる伝説上の帝王の一人で、人間というよりはほとんど神話の中の登場人物と呼ぶべき存在です。『史記』などに見える伝記によれば、蚩尤との戦いにおいて、常に南を指し示す「指南車」を用いたり、『自然居士』に見えるように新兵器の舟を使って逆賊を滅ぼしたり、と、新しもの好きな帝だったようですね。実際に舟を発明したという貨狄については、彼が一人で舟を発明したのではなく「共鼓」という臣下と二人で発明した、と描かれているようです。もっとも中国の歴史書等の中で舟の発明者に関する記録はおびただしく、貨狄の話はその一つに過ぎませんようですが…

さらに言えば、ここで黄帝に滅ぼされた蚩尤とは、これまた人間ではなく妖怪の類だそうです。銅の頭に鉄の額、鉄石を食し、人の身体、牛の蹄、四つの目、六つの手を持つ…などという記述もあるようで…これじゃまるで「鵺」ですね~

このクセの動作は基礎的な型の連続で、そのうえ同じ型が何度も出てくるのに対して、印象に残る型が何ひとつなく…正直に言わせて頂ければ、あまり上手な振り付けとは言いにくいです。それまでの、たとえば少女が居士に捧げた布施の小袖を首に巻き、さて人商人に追いつくと、とりあえずそれを返すとしてワキへ向かって投げつける、というかなり思い切った型があるのに対して、このクセは 何というか消極的な感じがしますね。ワキの言うがままに嫌々舞う、という意味を強調しているのかもしれませんが、また一方、ぬえはこの部分だけは能『自然居士』全体の型の作者とは別人の手によって型がつけられたのではないか? という疑問も持っています。…このへんは傍証がないので何とも言えませんが…