ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

必死剣 鳥刺し ついに公開!

2010-07-05 23:52:46 | 能楽
去年の夏に ぬえも1日だけ撮影に参加しました映画『必死剣 鳥刺し』がついに公開されるそうですね。

藤沢周平さんの短編小説の映画化で、山田洋次さんが監督を勤めて2004年に公開された『隠し剣 鬼の爪』の続編に当たる映画です(今回の監督は平山秀幸さん)。

ぬえは映画に出演するのは初めての経験でした。いや、出演といっても能の場面の地謡の役ですんで、映っていないかも~。それでも撮影のためにセットの能舞台が建てられたり、場面の設定の季節は桜が満開の春なのに撮影は夏だったり…なんというか、力ずくでそこにないものをリアルに現出させる、という手法を見て、驚嘆しました。能がお客さまの想像に任せて最小限の演技を目指すのとはあまりに対極的な経験でしたね~。

今日…7月5日に試写会が開かれまして、ぬえもお誘いを受けたのですが、あいにく今日は『自然居士』の稽古を師匠につけて頂き、明日の朝は『自然居士』の稽古能の予定となっています。まさに今の ぬえは『自然居士』に どっぷりとはまった生活をしておりますので、試写会は辞退させて頂きました。

んで、劇場公開は7月10日なのだそうですね…ありゃ、ぬえの誕生日だ。ともかく『自然居士』が終わらない事には何も出来ないですが、そのあとにゆっくりと、ちゃあんと入場券を買って映画館に見に行きたいと思います~。

『必死剣 鳥刺し』公式サイト
予告編(能の場面が一瞬映ります)

ちなみに、この時に演じられた能は『殺生石 白頭』で、シテを舞われたのは師匠家の若先生でした。

じつは撮影よりもずいぶん以前に、監督さんからシテに「恨み」というモチーフの能を舞台で演じてほしい、という相談があって、それで『殺生石』が選ばれたのだそうです。そんで、『殺生石』ならば「白頭」の小書がついている方が断然面白いだろう、ということになって、さて最近誰かやったっけ? ああ、そうだ、ぬえくんがやってるよ。となって、ぬえが録画を監督さんやおシテを勤められる若先生に貸して差し上げることになったのでした。(^◇^;)

だから撮影のときの装束や面は、ぬえが演じたときのそれと ほとんどそのまんまです。(;^_^A 録画と全然違った装束を選ぶと、監督さんの持っていたイメージを壊してしまうでしょうしね。

映画では冒頭のシーンにだけ能は登場するようです。なんだか楽しみ~ (*^。^*)

◆関係記事◆

撮影の報告記事
撮影の報告記事(続)
ぬえの『殺生石 白頭』

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その11)

2010-07-05 13:24:30 | 能楽
シテ「あゝ船頭殿の御顔の色こそ直つて候へ。
ワキ「いやいやちつとも直らず候。


…これだけの事なんですけどね~。居士がからかい、人商人が顔を赤らめて怒る、そんな図式なんだと思っていました。ところが何年か以前に拝見した『自然居士』のお舞台でワキの宝生閑師は「いやいやちつとも…」と軽く謡うことで、あっさりとシテの挑発をかわしておられました。「いやいや♪」という感じに ぬえには聞こえました。「ふん、その手には乗らないよ。これからじっくり嬲ってやるからな」という含みを ぬえは感じました。ほかの場面でも宝生閑師は ぬえが台本を読んで受けた印象とは ちょっと違った謡い方をされていましたが、これがまた、ぬえが読んだよりも 台本にずっと深みを与えていましたね~

さて「またこれなる船子の申し候は。居士は舞の上手の由申し候。舞を舞うて御見せ候へ」と言われた シテは、自分がなぶりものにされることを警戒して、ワキの言葉を否定します。

シテ「総じて居士は舞 舞うたる事はなく候。

がしかし、ワキはちゃんと証拠? を用意しています。

ワキ「あら偽りを仰せ候や。一年今のごとく。説法を御述べ候ひし時。いで聴衆の眠りを覚まさんと。高座にてのひと指し。奥までもその隠れなく候。ただ舞うて御見せ候へ。

ここまで言われた居士が答えた言葉がこれ。

シテ「おうそれは狂言綺語にて候程に。さやうの事も候べし。舞を舞ひ候はゞこの者を賜り候べきか。
ワキ「それはその時の仕儀によって参らせ候べし。


「舞を舞えばこの少女を返すと約束するか」…どう考えても身も蓋もない問いで、完全にワキに主導権を握られたやりとりです。

そのうえ、ワキはシテの舞の扮装まで指定します。すなわちシテに烏帽子を着せるわけですが、宗教者であるシテにとって、それは芸能者になりきって舞を見せる屈辱を受けることになります。ワキが仄聞したという居士の舞…説法の場に集まったけれども居眠りなどして集中できない聴衆を目覚めさせるために居士が見せた「狂言綺語」としての舞では、居士は烏帽子を着て舞ったわけではないでしょう。

「舞を舞うたることはなく候」と言ったのを「偽り」と喝破された居士は、「狂言綺語」であるから「さやうの事も候べし」と認めます。「狂言綺語」とは空想的な(=狂った)言葉や、飾り立てて偽った言葉の意味で、すなわち仏の戒律の「妄語戒」に反するものですが、ここで居士は『白氏文集』などに現れる、狂言綺語を転じて讃仏乗の因となすという思想を利用して、自分が舞を舞った事を正当化しようとしたものでしょう。

もとより目前に人生を捨ててしまおうとする少女を見て、たちまちにその救出に走るほどのアクティブな居士であれば、当然あり得るエピソード。禅僧の中には歴史的に座禅の床を離れて市井の人々に交わって説法唱道をした者があったそうで、さらに彼らの中には遊芸を以て仏道を説く者もあったそうです。自然居士もそうした説教者の一人なのかもしれません。