ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その12)

2010-07-06 22:32:17 | 能楽
舞を舞うことをシテが承諾したことで、ワキはさらにシテに烏帽子をかぶせるわけですが、このところ下懸リ宝生流のおワキの文句は秀逸です。

ワキ「折節これに田舎土産の烏帽子の候。これを召してひと指し御舞ひ候へ。

田舎への土産にと買い求めた安物の烏帽子、というわけです。宗教者であるシテをいかにもバカにした態度ですね。

ところでこの烏帽子、舞台上ではどこにあったのかというと、じつは地謡がそっと舞台に持って出ていたのです。具体的には、ぬえの師家では副地頭が舞台に持って出ることになっています。事前におワキとは申合や当日の楽屋で打合せをしておいて、決められた場面でおワキがクルリと地謡の方に向き直って座ると、すかさず副地頭が烏帽子を渡すのです。本来は後見の役目でしょうが、地謡から渡した方が目立たない、ということもありますね。

こうして、地謡が小さい小道具をワキに渡す、ということは 割に例がありまして、『船弁慶』でも烏帽子をワキに渡しますし、『隅田川』で鉦鼓を渡す、という例もあります。『船弁慶』『隅田川』ともに、地謡が謡っている最中にワキに渡すのですが、そのために地頭ではなく副地頭が渡す役目になるのだろうと思います。

こう言いながら烏帽子を持ってシテに近づいたワキの手からシテは しぶしぶ、烏帽子を受け取ると、囃子方の方へ斜め後ろに向いて下居。すかさず後見が出て、シテに烏帽子を着けます。このときワキもそばに着座したままでシテを見ていますが、これは本来、ワキがみずからシテに烏帽子を着けてやった、という意味合いになります。この例は『船弁慶』や『望月』などにもあります。

このように舞台上で演者が装束を着替えたり、小道具を身につけたりすることを「物着」(ものぎ)と言います。『羽衣』や『杜若』で物着はおなじみだと思いますが、女性の役のシテが物着をする場合のみ、大小鼓と笛が彩りを添えてくださるのです。ツレの物着や、シテであっても男性の役の物着には囃子方は何も演奏してくださいませんで、その代わりに間狂言が立シャベリをして間をつないでくださる曲…『芦刈』や『望月』などの例もありますが、『自然居士』のように、完全に静寂の中で物着をする曲もあります。囃子の演奏も、また間狂言の立シャベリもないと、自然 お客さまの目は物着の様子に集中しますので、なかなか後見はやりにくいですね。また『自然居士』ではこの静寂の中での物着が二度もあります(!)。

この1回目の物着では烏帽子を着けることが本義で、師家の形付け(振り付けを書いた書物)にも、ここでは烏帽子を着けるのみで、わざわざ「掛絡(から=袈裟のこと)はそのまま」と書いてありますが、実際にはここで掛絡を取り去ってしまう事が多いのです。というのも、二度目の物着は鞨鼓を着けるときで、このときは非常に手順が多いのです。いわく、数珠を捨て、掛絡を取り、扇を前へ挿し、水衣の両肩を上げ、鞨鼓を前へ着け、撥二本を一緒に右手に持つ…ここまでを二度目の物着で致します。ここまで作業が多いとどうしても物着に時間がかかり過ぎてしまうという事情もあり、また、それよりも大きな理由として、烏帽子を着けてしまうと、首に掛けた掛絡を取り去るときに後見の手が烏帽子に触れてしまって烏帽子が曲がる危険性があり、さらに、頭の上にニョッキリと高くそびえる烏帽子の上まで掛絡を上げないと取り去ることができず、その見た目の悪さから、この一度目の物着で、掛絡を取り去ってしまってから烏帽子を着ける方が都合がよい、という意味もあります。

宗教者である居士が数珠を捨て、掛絡を取り去るのはおかしいことなのですが、鞨鼓はおなかの前に着けるため、掛絡が邪魔になるのです。実際問題として舞台上での演技の妨げになるために鞨鼓を着ける際には掛絡を外しますが、その前に烏帽子を着けてしまうと、これまた掛絡を取り外すのが舞台上で難儀になりますので、そういった理由からかなり早い段階で掛絡を取り去ることが多いのだと思います。

もっとも掛絡も数珠も、取り外し、捨ててはしまったけれども、どちらもシテは身につけている心で演技を続けることになります。