ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『自然居士』~「劇能」のおもしろさ(その20)

2010-07-16 22:34:44 | 能楽
鞨鼓が終わると、あとは怒濤のようなキリの場面です。

地謡「もとより鼓はと足拍子波の音と大左右。寄せては岸をと正先にノリ込拍子。どうとは打ち。雨雲迷ふ鳴神のとサシて跡へ廻り撥を両手に持ち橋掛リへ向き。とゞろとゞろと鳴る時はと両撥を打ちながら一之松まで行き正ヘ向き。降り来る雨ははらはらはらとと見廻しながら出下居、撥で欄干を打つ。小笹の竹の。簓をすりとヒラキ撥を重ねて見。池の氷のとうとうとと片撥打ちながら舞台に戻り。鼓を又打ち。簓をなほ擦りと数拍子。狂言ながらも法の道と撥を捨て扇を抜き持ち開き。今は菩提の。岸に寄せくると子方の側へ行き立たせ。船の内より。ていとうとうち連れてと子方の跡より常座へノリ込拍子。共に都に上りけりと正へヒラキ。共に都に上りけりと右ウケ、トメ拍子。

このキリ、切能でもないのに、能の中でもかなり忙しい型の連続ですね。考えようによっては『殺生石』よりも忙しいかも。なんでかなあ、と考えてみたのですが、このへんは生きている人間と、獣性を持った悪鬼といえども超人間的な存在のシテとの性格の違いですね。動作の激しさといったら『殺生石』や『小鍛冶』の後シテの方が勝るかもしれないけれど、こういう役にはどこか「大きさ」のようなものも重要な要素なので、動かないところも大切だったりします。それに比して現実に生きている人間の役は、バイタリティのままに動ける、ということもあるのではないか、と思います。だからこそバタバタとしないように努めなければならないのですけれども。

さて、最後の場面でシテはワキの言葉もなにも関係なく、有無を言わせぬ勢いで子方を救出します。撥を捨て、扇を開き、子方の側に駆け寄るのですが、ここがまあ、忙しいところでして。ただでさえ忙しいのに、ここで もしも子方の足がしびれていて立ち上がれなかった場合の事を考えると…恐ろしいです~(×_×;)

ところで常の型ではシテは このように撥を捨てるだけで、すぐに扇を開いて子方の救出に向かうわけです。その場合物着で着けた烏帽子や鞨鼓はそのまま身につけた姿で終曲に向かうのですが、考えてみれば、烏帽子や鞨鼓、そしてその撥は、すべてワキが貸し与えたものなのですよね。そこで最近では烏帽子を脱ぎ、鞨鼓を外して、ワキの前に置いてから子方の救出に向かう型をすることがあります。これまた、忙しい型に拍車を掛けてしまうわけですが…

烏帽子や鞨鼓をワキの前に置くのは、もちろんそれらを返すからで、もとより少女を返してもらう代わりに小袖を返した居士であってみれば、烏帽子や鞨鼓といったワキの所有物を身につけたままでは庵には帰れず、貸し借りは一切精算したうえで都に帰りたかったのでしょうね。そうしたシテの心情の表現として、最近ではまた烏帽子をワキに投げつけるような思い切った型をする演者もあるようです。

こうして とうとう少女の身柄を取り返したシテは正面にヒラいて、誇らしくトメ拍子を踏んで終曲となります。なんだか世阿弥より以前の時代の、豪快で劇的な、生き生きとした舞台…それを見守り喝采を上げる見物の姿が見えるよう。『自然居士』はシテ方が みんな憧れる能のひとつで、劇的である分、難易度の高い能であるかもしれません。

今回の ぬえの公演も、もう明日に迫ってしまいました。なんだか稽古以外のことでも やたらと喧しい時期だったように思いますが、まずまず稽古はできたと思っています。あとは明日…出来る限りの事はしたいと覚悟しております。

どうぞご来場頂けます方には、よい1日でありますように心から願っております。
よろしくお願い申し上げます~ (^^)V